10月20日(土)中学生学校体験のお知らせ

中学生の皆さんへのページを更新しています。ごらんください。

この1冊: 第16回 俵万智『サラダ記念日』(河出文藝文庫)

   「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

俵万智と言えば、『サラダ記念日』という作品名の由来になったこの短歌が有名です。たしかに強いインパクトを持つ歌ですが、それだけが少々有名になりすぎた感じがします。

   「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
   また電話しろよと言って受話器置く君に今すぐ電話をしたい

これらの歌もその当時はとても清新な感じを与えたものです。しかし、こういう歌のイメージだけが作者の本質だと思いこまれ、「重みがなくて浮薄だ」だの「誰でも詠める」などという批判もされてしまったようです。この作者にはしっかりとした語彙の知識と日本文学についての教養があり、それが奥行きと深みを与えている歌がたくさんあります。

   あいみてののちの心の夕まぐれ君だけがいる風景である

  百人一首を覚えている人ならば、この短歌を見て必ず思い出す和歌があるはずです。

   逢ひみてののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり( 藤原敦忠) *

敦忠の歌は、恋が成就した後にいっそうつのる相手を思う切なさを詠んだ後朝(きぬぎぬ)の歌です。それを俵万智はさりげなく現代の恋愛歌へと読み替えています。これは「本歌取り」という技法なのですが、百人一首を知っている人は俵万智の短歌を味わうときに、敦忠の歌の意味を同時に思い浮かべてしまいます。恋がはじめて実ったこの夕暮れ時には、いとしい「君」の姿しか私の目には入らない、他の風景はあるけれどもそれはすべて「君」あってのものなのだ。一見、「君」という呼称や「である」という客観的な末尾表現によって(たとえば「君」を「あなた」に、「である」を「がある」に変えると主観が勝った歌風になります)、また音にして詠んだときの響きによって、歌の姿は平静を装っているのだが、しかし内心では恋の情念の炎がめらめらと燃えている。逆に言えば、恋愛の絶頂期でさえ、そういうあり方を透徹したまなざしで見る自分がいるということでしょうか。恋の思いに身を焦がしながらも理智的な自分はその人の色に染まる景色と自分をとらえている。これはそういう女性の気持ちをうまく表現した短歌だと私は思います。王朝の恋の表現と現代の恋心が一つの短歌の中で純粋なハーモニーを生み出している。それは人を思う気持ちには昔も今もないからでしょう。

   同じもの見つめていにし吾と君の何かが終わってゆく昼下がり

これは激しく燃えていた恋心にやってくる退潮の予感を詠んだ歌です。一つだと思っていたふたりの心が別々になってゆく哀しみを漠然と不安に感じている。「昼下がり」というのはふたりの恋心もあとは頂点から下がってゆくばかりだという感じを出すのに効果的な表現ですね。明確な言葉にはならない「何か」、二人にしかわからない大切な「何か」が「終わってゆく」。なんとなく消えてゆくのではありません。その恋には喜びに満ちた始まりがあったからこそ、それだけせつない終わりがあるのです。この短い歌のなかに強い感情のドラマが静かに凝縮されています。歌においては微妙な表現の差異が、大きな意味あいの違いを生むのです。この歌にも「~にし」という文語が用いられています。完了の助動詞「ぬ」連用形と過去の助動詞「き」連体形の組み合わせです。完了と過去の組み合わせですから、そのことが過去のある時点で完全に終了してしまったこと、取り戻すことができないのだという感じをあらわします。単純な過去や完了ではないのです。もはや二人で同じものを見つめるという状態は過去のものとして完了してしまったのです。その響きがとどめられない事態と時の流れを感じる「吾」の「哀しみ」にキリッとした緊張感を与えていると思います。

私の尊敬する江戸時代の本居宣長という学者は、「歌は言辞の粋」だと言いました。人にとって大切な「もののあはれ」を知る心の純粋な表現が和歌なのである。日本人は長い歴史をかけて五七五七七の歌形式に自分の思いを詠んできました。その短歌でさえ文語使用の壁によって、普通の人々の生活感覚から離れてしまおうとしているときに、俵万智はもう一度短歌をわれわれに親しみのあるものに変えてくれました。そのことを短歌の調子を低くしたと批判する向きもありますが、私はむしろその功績ほうに大きなものがあると思います。

最後に俵万智が国語の教師として神奈川県の高校で教えていたときのことを詠んだ短歌をいくつかあげておきましょう。この二首目などは教師の視点から見た学校生活の叙景歌としては秀逸だと思います。嗅覚を形容した「ほのぼの」という古雅な表現と近代的な「微分積分」という硬い数学用語の対比が効果的です。四首目は茶目っ気にあふれた、若い女性のはつらつとした学校での教師生活がうかがえる歌になっています。

   薄命の詩人の生涯を二十分で予習し終えて教壇に立つ
   シャンプーの香をほのぼのとたてながら微分積分子らは解きおり
   数学の試験監督する我の一部始終を見ている少女
   万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校

俵万智の短歌は実作のための良いお手本になるでしょう。高校生のみんなも自分の思いや感動を短歌のかたちにしてみてはどうですか?

*藤原敦忠の歌について…『拾遺和歌集』「恋二」所収のかたちでは、第四句が「昔はものも」となっている。こちらのほうがより相手を思う内面の屈折率が高まるように思う。しかし、ここでは、よく知られた百人一首に収められたかたちでとりあげた。

9月13日(木)「お久しぶりです」その二

       『報告その二&そろそろですよ~』

 ここでは「その一」に載せられなかった出来事をいくつか思い出しながら。
えーと、そうそう先ずは「花時計」。植え付けの様子は7月11日号でお伝えしていたけれど、その後の様子は???。

 きれいに花が咲きました。時計の針の脅威にさらされないということで中心部に背丈の低いジニア、周囲にマリーゴールドを植えた狙いは見事に成功。

 技術職員さん達にもお世話になっていたが、支援室がさぼっていた夏休みの間に雑草で遮られ見栄えが良くなかったのを、3日後の文化祭に向けて、9月5日(水)「生活と自立の時間」の炎天下の作業で再び復活(蚊取り線香はやはり効力あり)。

 文化祭来校者の皆様は見ていただけたでしょうか。一月後の「自立支援コース説明会」まで咲いてたらいいのだけど。頑張ってもらいましょう。

                      

                   ⇑ あと一月。頑張って咲いててくれるかなぁ? ⇑

 さて続いてはプール前の「クリスタル畑」。先だってお知らせしたようにここにはサツマイモが植え付けてあるのだけれど、ここもやっぱり夏休み中にすっかり「サバンナ状態」。あたかも雑草を植えたかのようで。9月12日(水)「生活と自立の時間」に頑張りました。

 この日もまたもや炎天下。校外実習のときには雨がちで、台風接近で昨年は一回中止、今年もプログラム変更したくらい雨に祟られているのに。スタッフか生徒に雨男または雨女がいるのかも?抜いて抜いて抜きまくった。

 すると、日光が遮られていたせいか少し色は薄いが(気のせいかも)まぎれもないサツマイモの葉を発見。「イモ掘り」ならず「葉探し」。収穫までにあともう一回せなあかんかなあ。
まだ剣道場前の畑も草抜きが残ってるし???。

                      

                  ⇑ 前   !!劇的ビフォーアフター!!  後 ⇑

 最後に、本校の校庭には技術職員さんのたゆまぬ努力で花や実のなる樹木がいっぱい。一年中、目と時には舌を楽しませてくれている。

 6月ころに花も満開だった栗が今年は豊作。市販のものより甘さは劣るが(調理法が悪かったのかも)、確かに栗を実感。技術職員さんいつも御苦労さま。ありがとうございます。

                      

         ⇑ 食欲の秋が近づいてますね。今年も体重計との熾烈な戦いが始まるのか!? ⇑

 信貴山を借景に季節の移ろいを豊かな花や樹木、そこに集まる虫や鳥たちの声で楽しめる本校の環境は素晴らしい。ここで生活する生徒諸君の心が落ち着いているのも確かに頷ける。

 赤トンボの舞う姿とツクツクボウシの鳴き声が夏の終わりと秋の到来を告げている

平成24年度 翠翔祭秋 文化祭 PTA主催物品バザー

9月8日(土)に本校で行われた文化祭で、今年度もPTAの方々が物品バザーを催されました。夏休みの間から、数回にわけて手作り品の制作などをされ、前日にも準備をされていました。当日は、お忙しい中を、30名以上の役員実行委員学級委員さんに参加していただき、たくさんの物品をバザー販売していただいた次第です。たくさんの来客でにぎわう中、PTAのみなさんも笑顔でいきいきと輝いていたと思います。終わってからの反省会でも積極的にいろいろな意見が出ていたようでした。みなさん、おつかれさまでございました。
バザーの収益65000円は学校に寄付していただきました。生徒たちのために使わせていただきます。ありがとうございました。

 

 

 

 

この1冊:第15回 切通理作『宮崎駿の〈世界〉』 (ちくま文庫)

大学入試現代文の出題では完全に評論が主流になっています。実際に見ればわかりますが、しかも相当に長い文章が問題文として出されることが多いのです。国語の教師として3年生の生徒から評論文対策を尋ねられるわけです。求められれば、即効性のある対処療法的なアドバイスを一応はします。しかし、その底力は本格的な評論を何冊かしっかりと読み通すことでしか養われません。

 入試評論文が難しいと感じる原因にはいくつか考えられます。この際ですから、少し分析してみましょう。

①評論文に苦手意識を持っている
②文章自体が難しい
③扱われている対象について興味がなく、よく知らない

①は心理的な問題です。これは評論というものに対する偏見をただして、順序立ててそれなりの数の問題をこなしてゆけば、克服できることが多いのです。現在の日本語で書かれているためにおろそかにされがちですが、入試対策では現代文分野でもパターン化された解法を身につくまで練習することが大切になります。

②については今はそんなに極端な難文は出題されない傾向にあります。今でも著者の文体そのものが難解な言い回しを用いている場合もありますが、使われている漢字や用語についての知識(語彙力)が不足している場合のほうが多いようです。その場合、私はまず生徒に「現代評論用語」を覚えさせています。

③については、自分の興味関心のある分野の評論を読むようにアドバイスします。今はあらゆる分野で評論が出ている時代です。特に、サブカルチャーと呼ばれる方面での評論は非常に盛んになっています。生徒には「JPOP」「アニメ」「スポーツ」の評論もある、どれか好きなものはあるかと訊きます。たとえばサッカーが好きならば有名な選手の評伝を、AKBが好きならばアイドル文化論を、という具合です。今回とりあげるのは、宮崎アニメについての評論です。

 著者は宮崎アニメの『風の谷のナウシカ』から『崖の上のボニョ』までを対象として論じています。これは本格的な評論です。しょせんアニメについてだろう、という見方を持った人が読めば驚くと思います。宮崎アニメには様々な要素が含まれています。自然と人間の共生、種族や立場が異なる人間同士の差別や偏見の問題、人間存在そのものの不思議さ、日本文化と日本人の本質…。そういうスケールの大きい宮崎アニメを論じるということはその作品のみならず、それらのテーマや問題を分析し、考察することにもなるのです。

 たとえば、『千と千尋の神隠し』での「汚さ」へのこだわりの背後には、どろんこ遊びが好きな子どもの心理もありますが、合わせて「けがれ」と水によるそのカタルシスという日本文化の特徴的な点もあると指摘されます。また、あの部分を映像論という視点からも論じることが可能でしょう。

 評論文の読解には「知識を身につける」という面もたしかにありますが、むしろ「知識を深める」という面のほうがより重要になります。すでに知っていると思いこんでいたことについて、あたらしく発見するような見方を教えられる。我々がふだんはめてしまっている「一般常識的なものの見方」という「色めがね」をはずして、対象と直に向き合うことの大切さを学ぶ。知識が深くなると、世界が広がり、自分の内面も豊かになるのです。

 たとえば『もののけ姫』に登場する「アシタカ」という青年は大和政権に追われたアイヌの一族の者であり、あの映画に登場する人々が中世の動乱に中で差別や偏見を乗り越えて人として必死になって生きる姿には、数々のメッセージ性がたたえられている。タタラ場で働いていた全身を包帯で巻いていた人々はいったいどういう人たちであり、高下駄をはいた「ヒコボウ」という男の正体は何なのか。もちろん、それらのことを知らなくても、あの映画を楽しむことはできます。しかし、それを知ることは封印されるように埋もれてきた人々の歴史の真実に出会うことになるのです。

 私もこの本からいろいろなことを教えられました。宮崎作品を見たことのある人なら、うんうんなるほど、と言った感じで読めると思います。なにしろ、登場するのがなじみのあるキャラクターばかりですから。

9月12日(水)「お久しぶりです」その一

         休み明け。最初のご報告を』

 支援室ページファンの皆様(2人以上ならとりあえず皆さまで◎)どうもお待たせしました。

前回のアップから早二ヶ月。この間、記事が何もなかったという訳では決してなく、ただただ夏季休業中は支援室の活動は特になく、その間は記事ネタがなかったのと新学期早々から今日まで文化祭を挟んで何やらバタバタしていたのとですっかり筆不精(?)になってしまったということで。

 今回は新学期からの活動をいくつか報告させていただきます。今回の活動報告は正規の「生活と自立の時間」の活動ではなく、他のプログラムの隙間を縫って実施した学年チーム別なのでよろしくご了承のほどを。

一つ目は、2年生3人だけで「手打ちうどん」。小麦粉を調合、こねて、押して、叩いて(?)、寝かせて(この間を利用してミシンで雑巾縫い)、伸ばして(昨年100均で購入した伸ばし棒が大活躍)それから切って茹でて食べる。

ネギを刻んで薬味にし、ショウガを加えてざるうどん。「手打ちはやっぱり腰が強くて美味しいねえ」

           

           \\ 叩いて、伸ばして、めんの形に切っていく!! //

                  

            ⇑ 後は茹でるだけ ⇑          ⇑ 空いた時間に雑巾作り ⇑

                    

                 ⇑ つゆをつけていただきま~す。 >ワ< ⇑

二つ目は、隣の柏原市にある(ちなみに本校は八尾市の東端にありグランドの一部は柏原市)「高井田古墳公園」散策と公園内の「柏原市歴史資料館」(ちなみに入場料はなんとうれしい無料)の見学。

ここには総数200基を超える紀元前6世紀中ごろから7世紀前半にかけて造成された
横穴古墳が群集している。日本で2例目の発見となった「火熨斗(ひのし)」(現代のアイロン)の出土状況がわかるように石室の保存展示もされている。

                  

          ?石室の写真。右写真、中央の虫眼鏡のような形のものが火熨斗です?

 都が飛鳥にあった時期は、この地域は、難波の津から都への主要ルートにあたり、大いに開発され、その開発を主導した有力者の多くは渡来系氏族と考えられる。

彼らは現在の柏原市・八尾市・大阪市そして当時は今よりもずっと生駒山に迫っていた海岸線をこえて大阪湾を望むこの高台に葬られたのであった。もしかしたらはるか西方の故郷に思いをはせていたのかもしれない。

 あっ、長くなって済みません。ついつい話題が専門分野にいってしまったので。

 という訳で本日はここまで。続きは次号で。乞うご期待。

 

9月14日(金)看護医療系面接ガイダンスを行いました。

関西看護医療予備校より講師をお招きして、看護医療系志望者対象に面接ガイダンスを行いました。実際の面接官の視点や心情などもお聞かせいただき、大変参考になりました。模擬面接も行っていただきました。何よりもまず、志望動機をはっきり言えるようにすることが大切だと教えていただきました。本番に向けて、しっかり準備をしていきましょう。

9月14日(金)学校斡旋就職受験者激励会を行いました。

9月14日放課後、それぞれの進路の中で、翠翔9期生のトップバッターとして試験を受けに行く、民間就職希望者7名の激励会を行いました。就職主坦の原園先生の進行で、校長先生をはじめ、学年主任、進路指導部長、各担任の先生方より、一言ずつ激励の言葉がかけられました。「面接練習でやってきたことに自信を持って、しっかりアピールして頑張ってきますので、応援よろしくお願いします!」力強い言葉が返ってきました。

16日(日)から、さっそく始まります。平常心で頑張ってきてください。応援しています!

2年生全員で近畿大学見学会を行いました

8月28日(火)に2年生全員で近畿大学にお邪魔しました。11月ホールで、大学の説明と屋木先生のご講演を拝聴した後、9コースに分かれて、施設見学や模擬授業などを行いました。本校の先輩の近大生も、夏休みにもかかわらず参加してくれました。

 

原子炉の上に上らせていただいたり、法廷教室で裁判官席に座らせていただいたり、ネズミの解剖を見せていただいたり・・・などなど、充実したプログラムであっという間に時間が過ぎました。模擬授業や説明をご担当くださった先生方や学生スタッフの方々、入学センターのスタッフの方々、本当にありがとうございました。

生徒の見学会レポート(抜粋)をお届けします。

近畿大学見学会生徒レポート(抜粋)

 

 

「翠翔祭 秋 文化祭」 の様子

9月8日(土)本校の文化祭が行われました。体育館や舞台でのパフォーマンス、飲食バザー、様々な展示などで盛り上がったしだいです。外来者数は約540名でした。来ていただいた方々にはお礼申し上げます。

学校長講評「I can’t do it alone. But we can do it together. 今回の文化祭の合言葉です。このすばらしい言葉通りにそれぞれの場面でよくがんばってくれました。不安定な天気のために、急きょ雨天バージョンでの開催となったにもかかわらず、体育館や舞台での劇やライブ、そして3年生の飲食店、文化系クラブなどの展示、門の装飾等、今年もいろいろな感動を与えてくれました。ほんとうによかったと思います。ありがとう。また、PTAの方々にもお忙しい中をおして、本校のためにバザーで頑張っていただきました。厚く御礼申し上げます。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女子ソフトボール部 優勝おめでとう!

さる8月26日(日)に行われた「平成24年度 大阪公立高校ソフトボール部研修大会」で本校のソフトボール部が優勝しました。本当におめでとう。
部員のみなさん、より強くなるように、これからも懸命に練習に励んで、元気に活躍してくださいね。応援しています。

 

 

 

「知的障がい生徒自立支援コース説明会」開催のお知らせ

 表記説明会の案内文を本校の通学学区である第3学区の中学校・支援学校に送付しました。申込用紙も通学されている学校に送付していますので参加を希望される方は所属校の担任または支援担当の先生方にお問い合わせください.

                        送付案内文

第3学区中学校長 様
  支援学校長 様
                                   大阪府立八尾翠翔高等学校
                                             校 長 徳 丸 達 也
             知的障がい生徒自立支援コース説明会について(ご案内)

 初秋の候、貴職におかれましては益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。日ごろより、本校の教育活動にご理解ご協力をいただき誠に有り難うございます。
 ご承知のように、本校では平成18年度から知的障がい生徒自立支援コースを開設し、現在9名の生徒が学んでおります。本校の自立支援コースを更にご理解いただくため、下記の要領で説明会を実施いたします。
 参加を希望される方は、FAX送信票に必要事項をご記入の上、FAXで府立八尾翠翔等学校まで送信してください。〆切は会場準備の都合上10月11日(木)とさせていただきます。また、今年度から現3年生に加えて2年生の生徒さん本人も参加していただけるようになりました。なお、会場の都合上現1年生の方で参加を希望される方は、保護者、ご担当の先生のみでお願いします。

                            記

   1.日 時  平成24年10月13日(土)  午前10時~11時30分頃
   2.受 付  午前9時30分~10時
   3.場 所  大阪府立八尾翠翔高等学校  南館4階視聴覚教室
   4.内 容  
       校長挨拶
       自立支援入試の説明 教頭
       八尾翠翔高校の紹介 教頭
       今年度の取り組みの紹介 自立支援担当者
       質疑応答
       自立支援教室見学(当日は生徒はおりませんが、校内を見学していただきます)
   5.その他
       ※
校内に駐車場がありますので、車でお越しいただいても結構です。
       ※校門は2カ所開けていますが、車の場合は必ず東門(山側)へ、徒歩・自転車の
         場合は西門(川側)が便利です。
       ※本校は2足制ですので当日は、上履きを必ずご持参ください。
       
       疑問点などがありましたら、下記までご連絡ください。

       連絡先  大阪府立八尾翠翔高等学校 教頭 松島康彦
             

この1冊:第14回 中村健之助『ドストエフスキーのおもしろさ』(岩波ジュニア新書)

現代の日本では文学自体が低調なので、「文豪」という言葉もあまり聞かなくなりました。たとえばわが国では夏目漱石や森鴎外などが文豪と呼ばれます。ロシアの文豪といえば、やはりトルストイとドストエフスキーでしょう。今回はドストエフスキーについて書かれた本をとりあげます。本当は小説を読んでほしいのですが、この作家のおもしろい作品は非常に長いのです。それに、同じ登場人物なのに複数の呼称が使われるので、読み慣れないとなかなかおもしろさがわかるところまでいきません。(私も最初は戸惑いましたが、再読したときには完全に作中世界に引き込まれて、その魅力にとりつかれました。)

 そこでコンパクトに興味深くその文学的特徴をまとめた新書をとりあげるわけですが、若いうちに機会を見つけて一度はいまだに世界文学の最高峰と言われるドストエフスキーの大作を読んでほしいと思います。ちなみに個人的に好きな順番をつけるとすれば、1位『白痴』2位『罪と罰』3位は迷いますが『悪霊』で4位が『カラマーゾフの兄弟』といったところでしょうか。

 文学は基本的に人間の真実の姿を描くものです。人間生活には明るい面もありますが、暗い面もあります。心身における汚さ醜さ、性格のずるさ悪さ、環境や自分自身から発生する苦しみ、異常なものごとに遭遇した恐怖など、日常生活で我々はなるべくならそういうものには触れたくないと思っています。ところがドストエフスキーの文学はそういう人間の暗い真実を描くことを本質としているのです。ですから、この作家の作品を読んで心が晴れ晴れとすることはまずありません。そのかわりに、まさしく人間の多様な真実に目を開かれる思いがします。ごく普通の生活を送っている人間の内面にどれだけの心の闇が、精神の深淵が広がっていることか。

しかし、目をそらしたいと思うような人間の弱さや醜さをドストエフスキーの作品で読んだときに、不思議にも我々のうちに目覚めてくるのは弱さを持つ人間という存在への寛容な気持ちです。それは、作中で愚かな言動をしている人々は自分の拡大された似姿ではないか、ということに気づくからに他なりません。まとめて言えば、一人ひとりの人間には醜くて弱いところがある、でも、それをお互いにわかったうえで共に生きてゆくのが人生なのだ、ということになるでしょうか。高みに立ったモラルの提唱も必要かもしれませんが、いったんはフィクションを通して人間存在の底辺に触れておくことも大切です。そこから立ち上げられる共感共生の思いだからこそ、しなやかで強靱な真の人間同士のつながりを生むのではないかと思います。本当の文学は不思議なことに連帯を生むのです。孤独な読書の楽しみが、人間の輪を形成してゆくのです。

 この本の筆者はドストエフスキーの短い「言葉」を作品などから選んで、それに関連した作家自身や作品中のエピソードを紹介した文章をつけています。

 「わたしは、人間のいびつな、悲劇的な面をはじめて明らかにしたということに、誇りを感じている。」(『ノート』より)

 これが一番最初にとりあげられている言葉です。どちらかといえば、集団になじめない、しかも他人の評判を気にする過敏な自意識を持った人間が、心密かに自分がヒーローになるというとんでもない空想を抱いたりする。そういう、いびつで悲劇的な性格の「あこがれ」人間がドストエフスキーの作品には出てくるというのです。しかし、多かれ少なかれ、我々にもそういう面はあるのではないでしょうか。

 社会の片隅に暮らす人間、普通の社会生活を送る人間の内面に潜む大きなドラマを描いたところに、ドストエフスキーの偉大さがあるのです。

 この本の巻末にはドストエフスキーの主要な作品のあらすじ解説がついています。おもしろそうだと思った作品にチャレンジするには大変便利です。

この1冊:第13回 茨木のり子集『言の葉』1~3(ちくま文庫)

今の日本の若い人たちは詩集をあまり読みません。授業で「詩」を扱っても、おもしろいストーリーの展開があるわけでもなく、内容的に何か知識が身につくわけでもない「詩」を読む意義がわからない、という感じです。

ところで君たちは絵を見たり、音楽を聴いたりするときに「これは何か役に立つかな」と思って鑑賞するでしょうか。「嵐」でも「AKB」でも、好きなポップスを聴くときに、「何か得をするから」と思って聴きはしないでしょう。我々はそれが好きであり、それを聴いて楽しいから聴くのです。「詩」もそうであって、詩の言葉は何かの役に立つために使われているのではありません。

 自然の美しさ、恋の苦しみなど何かに対して感動した作者の心が「言葉のかたち」をとって表されている。その「言葉のかたちとなった感動」を読んで、我々も心を動かされる。詩を読んで何かできるようになるわけでもないし、知識が増えるわけでもないが、詩は私の心を豊かにしてくれる。感じる心を育んでくれる。人としての感性が磨かれ、心が豊かになる以上にすばらしいことがあるでしょうか。他の人の気持ちがよくわかるようになり、物事の味わいが深くなってゆくのです。民族の言葉で作られてきた多くの詩歌は自然と我々の心を育んでくれるものなのです。

 効率や利益ばかりで物事の価値を判断することを功利主義といいます。日本社会の功利主義的風潮には拍車がかかるばかりですが、そのぶん日本人の心がどんどん貧しくなっていっているのではないでしょうか。できれば、自分の好きな詩人をみつけて、折にふれてそれを楽しむようでありたいものです。

 茨木のり子の詩は高校の教科書にもよく収録されます。わかりやすい言葉を用いていますが、表現は豊かで、訴えかける力には強いものがあります。読んでいると自分の人生を背筋をピンと伸ばして、しっかりと歩んできたひとりの女性の姿が思い浮かぶようです。詩を解説するのは音楽を言葉で語るのと同じく、難しいものです。この詩人らしいフレーズを一つとりあげることでその表現の一端を味わってみましょう。

  「握手」より

 手をさし出されて/握りかえす
 しまったかな?と思う いつも/相手の顔に困惑のいろ ちらと走って
 どうも強すぎるらしいのである/手をさし出されたら
 女は楚々と手を与え/ただ委ねるだけが作法なのかもしれない

  ああ しかし そんなことがなんじゃらべえ
 わたしは わたしの流儀でやります

 自分のあり方は世間一般のそれとは少し違うかもしれないけれど、わたしはわたしの生き方を貫くのだという思いが、ユーモアを交えてさりげなく、それでいて見事に「言葉のかたち」となって表現されていると思いませんか。若者の自立心を芽生えさせ、育てるのは勇ましいスローガンや声高い説教でしょうか、それともこういう詩の言葉を味わうことによってでしょうか。大人たちもよく考えてみる必要があるかもわかりませんね。

 『言の葉』には彼女の詩だけではなく、エッセイも収められています。