10月17日(水)生活と自立「障がい理解学習」「パンジー移植」

「視覚障がいについて&時計に向けて」


 今回は「視覚障がい」を取り上げての学習。「視覚に障害がある人のものの見え方」について、
スライドなどを見ながら勉強。その後、「手引きの仕方」について本校コーディネーターから説明(支援学校勤務経験を持つ職員の存在は、これだけではなくやはり本校コースの運営には欠かせない)を受けた。

 この日は、別のメニュー(生き物なのでこの日に限定されていた)があってここまでで終了。アイマスクを使っての体験は後日に回す。ちなみにアイマスクが一つ100円で手に入った。私には衝撃の事実。ホンマにこの値段でええの?

 続いては本校でここ数年すっかり定着した「花時計植え付け」。5月末植え付けのマリーゴールドとジニアは健在。今も咲き誇っている。しかしながら同時にプランターに植えた株たちはもはや残念な状態。

 やはり生育には、大地に十分な養分が必要だということなのだろう。この職に就く身としては深く考えさせられるエピソード。

 今回は、八尾土木事務所から届いたパンジーの苗(200株ほど)をポットに植え付ける作業。ここで2月ころまで大きくして(この間も水やりは主に教頭先生が担当)、花時計に植えつける。来年4月の入学式に文字通り花を添えてくれる。

                 

                 ⇑ 視覚障がい理解学習の説明を受けています ⇑


                
                       ⇐ ポットに苗を植え付け中・・・200株は大変でした ⇑


                       

                 ⇑ 元気よく育って鮮やかに咲いてほしいですね ⇑

10月3日(水)生活と自立「保健指導 食育指導」

事バランスについて考えてみよう」


 今回は2・3年生は「生活と自立の時間」に1年生は「基礎学習の時間」を利用して、保健室養護教諭の先生方に実施してもらった。テーマは「食育」。

 1回目は、普段の食生活を見直して、問題点があればそれについて考える。2回目は、調理および実食。必要な栄養素を考えて材料を選び(それからさらに所要時間・調理器具・費用なども考慮して)メニューは「オープンサンド」になったとのこと。

 本校では、年間8回の保健室中心の企画が定着している。今回の企画もその一つ。今回も保健室に丸投げで我々は写真撮影だけ。調理の要素が入ると、生徒たちの意欲がぐっと増す。その上に、保健室で「支援室保護者向け保健だより」を作成し、指導の内容を支援室生徒の保護者にも伝えるという行きとどいた配慮。

 これ以外にも本校では学校の様々な資源(とくに一般的には難しいとされる人的資源)が、自立支援コースの運営に活用される状況ができている。こういった体制が、支援室生徒の成長に大きく寄与していることは言うまでもない。職員の方々、いつもありがとうございます。今日もまた感謝です。

                      
                         ⇑ 食生活についての講義?

                          
                      ⇑ 講義内容を踏まえて実践開始です?

                      
                 ⇑ 完成です! >ワ<)/                  ⇑
                 ⇑              とっても美味しそうでしょう? ⇑

この1冊:第21回 武者小路実篤『友情・初恋』(集英社文庫)

 授業で生徒にできるだけたくさんの小説を読むように勧めると「オススメの作品はありますか」と言われます。日本の現代作家の作品や外国の有名な作品を出して、あれこれ紹介するのですが、なんとなく我が国の近代小説は後回しになります。理由は、凝った文体で書かれ、使われている漢字も難しいものが多いからでしょうか。外国の小説は新訳が出ると、言い回しが現代風に変わってゆきますが、オリジナルの日本近代小説はもちろんそのままです。今の高校生たちが自分で読んで、用語や言い回しがわかりやすくて、しかも内容的にもそれなりにおもしろいものはなかなかありません。でも、全然無いかというとそういうわけでもなくて、今回紹介する『友情』はその条件を満たす作品だと思います。

  『友情』は若い男性二人女性一人による三角関係を描いたものです。その点だけで言えば、君たちが2年生で学ぶ夏目漱石『こころ』と同じになります。しかし、どちらも悲劇的にせよ、作品の色調はとても違います。漱石のものが暗くて渋い色調であるとすれば、武者小路のこの作品は、はっきりとした明るい色をたたえています。特に、三角関係の結末の描き方は両者では大きく異なります。

若い作家脚本家の「野島」は友人「仲田」の妹である「杉子」のことが好きになりました。その容貌の美しさに魅せられてしまったのです。しかし、野島は内面的に苦悩を抱えて、ひそかに杉子への思いをつのらせるばかりでした。年長の友である「大宮」だけは野島のそういう葛藤を理解してくれて、そのピュアな恋情が実るように応援し、力を貸してくれるのでした。同じ友人でも仲田の恋愛観は打算的であるのに対して、大宮のそれは純粋で理想主義的なものであり、野島はますます大宮のことを頼りにする気持ちが強くなってゆきます。

「いつでも大宮の処へいくと彼(=野島)は胸がすいた。よき友を有することを感謝しないではいられなかった。自分がなにをしても少なくも大宮だけは理解してくれると思った。」

  ある時、パリに行った大宮から野島は手紙を受け取ります。そこには、同人誌に発表した自分の小説を読んでほしいという旨の言葉が記されていました。その小説には大宮と杉子と思しき人物の手紙のやりとりが書かれていたのです。はじめてこの部分を読んだときに私は杉子の大宮を慕う気持ちの強さにうたれると同時に、そこに記された野島からの愛を拒絶する杉子の言葉の激しさにショックを受けたことを記憶しています。

「私は野島さまの妻には死んでもならないつもりでおります。」
「どうしても野島さまのわきには、一時間以上はいたくないのです。」

杉子にとって野島の自分への求愛は嫌悪感を催す「ありがた迷惑」以外のなにものでもなかったのです。このあたりはこの作品のすぐれた叙述がつづくところで、作者の筆も冴えているところでしょう。ですから、実際に読んでみてほしいのですが、理想的な男性像に近い大宮を一途に慕うゆえに杉子が持つ、若い女性特有の酷薄さがみごとに描かれています。何かを選ぶということは、それ以外の何かを選ばないということです。それを選ぶ基準が恋愛のように感情に基づくものである場合は、選ばれなかったものへの拒絶はおうおうにして強いものになってしまいます。同情や恩義などで恋愛をするわけではありませんから、仕方がないのですが、選ばれずに拒絶された側の心の傷は深く残ってしまいます(恋愛におけるそういう不可避な人間模様をも良い文学はしっかりと描きます)。そういうこともすべて承知したうえで、大宮も野島との友情を犠牲にしてでも、杉子の愛を受け入れることを決意します。大宮の作品を読み、すべてを知った野島は取り乱しながらも「傷ついた、孤独な獅子」としてこれからの人生を強く歩む決意をするのでした。本当は最後の野島の言葉も印象的なのですが、それは実際に自分で読んでみてください。

 野島よりも男性としての容姿や才能の点ですぐれる大宮のほうを杉子が好きになるのは、たいへんリアリティがありますね(杉子ならば精神的にもというかもしれませんが)。挫折しても人は自分の足で立ちあがり、たとえそれが他人よりも劣っているものであっても、持って生まれた自分の資質を受け入れ、しっかりとそれを開墾してゆくことで闘ってゆくしかない、そう思い知った野島にはこれから人間としての真の強さが芽生えてゆくのでしょう。ベートーヴェンが白樺派にとって理想の芸術家のひとりだったのも納得がいきます。(ちなみに容姿が人一倍すぐれない人間が、しっかりとした妻女の支えによって立派に大成してゆく話としては森鴎外の歴史小説『安井夫人』があります。)

短いですし『友情』は白樺派入門としては最適の一冊でもあります。苦難をかかえながらも人道の理想を求める白樺派の作品は若いころに一度は読んでおいたほうがよいと思います。この作品がおもしろかった人は、ぜひとも長編傑作である志賀直哉『暗夜行路』、有島武郎『或る女』にも挑戦してみてください。たしかに長くて読み通すのに忍耐がいるかもしれませんが、それだけに読み終えた時の充実感には格別なものがあります。この両作品も本校図書館に活字が大きく改版された新潮文庫で入っています。

平成24年度 球技大会

本日は本校の球技大会が行われました。種目は男女混合キックベース、男子ミニサッカー、女子バレーボールです。少し雲が出た時間もありますが、美しい秋空のもとで生き生きとした表情をしながら、各競技を生徒たちは楽しんでいました。グランドのあちらこちらで大きな歓声があがっていたのが印象的です。三年生にとっては最後の大きな学校行事でしたね。

 

この1冊:第20回 岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書)『いま哲学とはなにか』(岩波新書)

 書店の思想書コーナーに行くと、「わかりやすさ」を売り物にした本が山積みしてあります。いわく「~分間でわかる」現代思想、いわく「誰でもわかる」有名思想家の哲学、といったぐあいです。翻訳語を基本とするために日本の近代哲学が必要以上に難しくなってしまったことは間違いないでしょう。哲学分野が多く出題される大学入試の現代文の評論が難しくなる原因のひとつもそこにあります。ですから、少しでも親しみやすくするためにそういう本があることを否定はしません。しかし、一人のすぐれた思想家が自分の全人格をかけて思索した思想内容がそう簡単に理解できるものでもないということもふまえておく必要があります。今回は少し長くなりますが、非常に良心的な哲学の入門書を2冊紹介したいと思います。

 岩田靖夫の哲学書は流行性を前面に出すこともなく、記述においても宣伝的にわかりやすいことを主張していません。けれども、その内実的な価値は非常に高いと私は思います。第一に正統的な哲学の教養を駆使して、正確にして深い思索内容が展開されていると感じます。哲学の歴史を解説しながら、そこに現代の問題を見いだし、考えてゆくのです。単なるわかりやすい解説に終わることなく、哲学思想をめぐる自分の考えがていねいに述べられています。第二に今回紹介する2冊は文体的にもたいへんわかりやすく工夫して書かれています。何よりも、著者が現代の課題にとりくむ哲学者として読者に向かい合う真摯な姿勢がすばらしいのです。この人の本はこれからの日本の若者にとって良い指針の一つになるにちがいないと私は思います。思想でさえ手軽に扱われるような時代だからこそ、老若男女を問わずに真面目に考える、「哲学する」ことが求められるのですから。プラトンは哲学の言葉によって魂を咬まれた、と言いました。知を愛する好学心にひとたび目覚めた人間は真理を求めて学び、考えつづけるのです。

 ここでは私なりに岩田靖夫の考えの要点をまとめてみたいと思います。高校生向けによりかみくだいてみました。 さて、我々は一人では生きてゆけません。人と人のつながりの問題は、人間にとっては避けては通れない大きな問題です。それをめぐる岩田の考えの特徴は大きく二つに分けることができます。

Ⅰ 社会のあり方を考える哲学
 まず我々の社会や政治のあるべき姿を考える哲学について考えてみましょう。そこには現代社会においても同じ問題が存在しつづけていることがよくわかります。岩田が採りあげている思想家はプラトン、アリストテレス、ロールズです。

 プラトンは理性的な哲学者が「善」の理想にしたがって行う「哲人政治」を説きました。大衆の欲望のままにしたがう政治は愚かな傾向に支配され、やがてすさんでしまいます(衆愚政治)。しっかりと思索をつづける者がトップの為政者となることで理想の社会が実現するとプラトンは考えたのです。しかし、現実的には権力の座についた人間は堕落しやすく、特定の人間による執政は独裁政治を生んでしまう可能性があります。

 そこでアリストテレスは中庸の徳を持つ人々による「中間の国制」を説きました。それは良識ある人々が自分の能力にのっとって、自由と平等の自覚のもとに集う社会形態です。この考え方が現在の「デモクラシー」、民主主義の基礎になっているのです。ただし、この考えにも欠点があります。能力主義がゆきすぎると、社会的弱者と呼ばれる人々は幸福になる可能性を奪われることになります。

 アメリカの社会政治学者のロールズは「正義」と「能力共有財産」という考えを説きました。現代のような多種多様な文化や考え方を持つ人々が交流する世界にあって、行動基準となるのは公正さとしての「正義」です。ロールズの「正義」とはあらゆる人が互いの自由と平等を認めあうことです。そのためには、たとえ能力的に劣った人がいたとしても、その人も自由と平等を保障されなければなりません。個人の「能力」はもともと偶然に与えられたものでしょう。それは「共有財産」として活用されなければなりません。そうすれば、すぐれた能力を持つ者が自分以外の人々のためにその能力を用いて、より住みやすい社会を作っていくのが正しいということになります。これはこれからの福祉や社会保障の大切さを支える思想だといってよいでしょう。

 プラトンとアリストテレスの政治哲学は理想主義と現実主義の源泉です。今の政治思想も基本的にはこのどちらかにもとづくものがほとんどでしょう。ロールズの思想はグローバル社会において共に生きるということを真剣に考えるための手がかりになります。

Ⅱ いかに生きるべきかを哲学的に考える
 我々は人と人のつながりの問題を自分の生き方にひきつけても、よく考える必要があります。岩田靖夫はヨーロッパ思想の根源にあるヘレニズム(ギリシア思想など)とヘブライズム(ユダヤ教、キリスト教など)にさかのぼって、現代を生きる哲学者として、その課題に取り組むのだと言っています。

 古代ギリシアのソクラテスは人は単に生きるのではなく、正しく善く生きることが大切だと説きました。つまり、倫理的に生きることが人間の使命だと考えたのです。倫理的に生きることには他者のかけがえの無さを認めて生きるということも含まれるでしょう。

 しかし、人間はともすれば自己中心的な生き方をする存在です。他人も含めて、世の中のものを自分にとっての損得や好悪で価値のランク付けをしながら生きています。言わば、自己中心的な自分はかけがえのない価値を持つ他人に囲まれて生きているのです。そういう自己と他者を結ぶことができるのは「愛」や「善意」になります。人間社会の現実的なルールは報酬と報復に基づいています(ハムラビ法典にいう、目には目を、歯には歯を、ということです)。それに対して、無償の愛や究極の赦しがヘブライズムの宗教によって唱えられました(大まかに言えば唯一の「神」が持つ絶対的な価値を個々の人間も分け持つはずだというものです)。

 その考えを現代に受けついだ一人にユダヤ人のレヴィナスという哲学者がいます。レヴィナスの思想の基本は、本来「愛」や「善意」はこちらからの一方通行のものだ、というものです。そこに対等な報いを求めるところには本当の愛や倫理はありえない。そうなってくると、人間を超えるものでないと、人間を最終的には価値づけることはできないという宗教や信仰の領域に入ってきます。岩田は宗教のことにもたくさん言葉を費やしていますが、ここではふさわしくないので、とりあげません(興味ある人は実際に本文を読んでみてください)。とにかく、殺人や戦争は無償の愛に基づく究極的な赦しによってしか無くなることはないと考えられているのです(ナチスによって家族を虐殺されたレヴィナスがこういう思想を説くところに迫力がありますね)。

 さて、実際に我々はどこまで倫理的な生き方を貫けるのでしょうか。ますます功利的な自己中心主義が幅を利かせる現代社会で、自分だけがどこまでも潔癖に正しく生きることができるのでしょうか。また、大衆のあり方が混迷し、国際的にも問題が噴出している社会政治は今後どうなってゆくのでしょうか。どういうあり方を探ってゆけばよいのでしょうか。そこで生きる我々はどうすればいいのでしょうか。他の人の考え(岩田靖夫のものも含めて)はあくまでもその人のものにしかすぎません。これらは社会を生きる一人ひとりが真剣に考えるべき問題なのです。そのうえで、みんなでしっかりと話しあってゆくべきことだと思います。これから青年期を経て社会人になってゆく高校生のみんなにもぜひ考えていってほしいと思います。岩田靖夫の本はそのための最高の参考書になるでしょう。

☆定期的に本校のホームページにアップしてきた「この1冊」も20回を重ねました。今後のアップは不定期になると思います。翠翔の生徒たちよ、多くの書物を手にとって読みに読むべし。そして、精神的に成長し、明日を生きる新たな自分を創造しつづけていってください。図書館にあるたくさんの本は君たちの手にとられ、読まれることを待っているのです。これまでの文章が少しでもその導きの役割を果たせたならば、と思います。

平成24年度 中学生体験入学 終了しました

本年度の八尾翠翔高校の体験入学会が終わりました。今日は好天にも恵まれ、たくさんの中学生のみなさんが参加してくれました。どうも、ありがとう。また、保護者、付き添いの方々にも多く来ていただきまして、ありがとうございました。

体育館での生徒会生徒による挨拶と吹奏楽部による歓迎演奏(曲目は「ハピネス」)、学校長挨拶、進路部長による学校概要説明のあと、各教室に分かれて体験授業となりました。引率は女子バレーボールと女子バスケットの部員がしてくれました。その後、クラブ員の誘導で、練習場所に移動し、クラブ見学が開始されたしだいです。中学生のみなさん、本校の印象はどうだったでしょうか。公立高校の良さ、八尾翠翔の良さを知ってもらえたかなと思います。これからの進路実現の参考にしてくださいね。

参加していただいた保護者の皆様にも、本日のことを今後のお子様の進路決定のご参考にしていただければと存じます。

体験入学 本日午後2時からです (受付午後1時30分~)

本日の午後2時から中学生体験入学会を行います。天候にも恵まれ、本校から見える信貴高安の山なみの姿がとても美しいです。

受付開始は午後1時30分からになります。場所は体育館2階です。申し込んでいる中学生の皆さんは、上履き、靴袋、筆記用具を忘れずに持ってきてください。くれぐれも車などに気を付けて来校してくださいね。お越しいただく保護者の方々もよろしくお願いいたします。

総務部

9月26日(水)午後「校外実習」②「東大阪市立埋蔵文化財センター 発掘ふれあい館」

   『第部。古代のモノを製作体験』

 さて次の目的地は「東大阪市立埋蔵文化財センター 発掘ふれあい館」だ。瓢箪山駅で下車し昼食、今回は駅前商店街で各自好きな店を選ぶ。結局は2チームに分かれ「ハンバーガー」と「うどん」(店の名前は何かと差しさわりがあるかもしれないので内緒で)

 駅から歩いて10分ほどで目的地に到着。早速事前に予約しておいた体験学習。ここでは自分の好きなものを製作する。作ったのは「土器」「土笛」「勾玉」。みんな集中した。なかでも土笛は「音が鳴る」ということでさらに慎重に細工する。

 付添職員も「何やら」製作。「何やら」とは滑石製の埴輪風アクセサリー。何とも味のある作品だった。

 職員さんたちの丁寧な指導のおかげで90分ほどでみんな完成。親切に教えていただいてありがとうございました。最後に復元された竪穴住居(本格的。教科書資料を100回見るより効果大)をみてから解散。

 やっぱりもの作りに集中するのは楽しい。ということで大人も楽しめる「発掘ふれあい館」。皆さんもお子様連れでいかがですか。「土器」と「土笛」は半月後の焼きあがりを待って受け取りに行く。自宅が近い私の仕事になりそうだ。

 この日は一日中よく学んだ。体験学習は楽しさもあっていいものだ。これからももっといろいろな所へ行って生徒たち(職員も含めて)の世界を広げていきたいものだ。

?そうそう昨年度のこの時期の企画は「りんくう公園」だったが、台風接近でキャンセル。またもや雨男女のせいか。今年もやはり台風シーズンなので雨でも大丈夫な室内企画にした。結果、当日の天気はまさに「日本晴れ」。困った「落ち」のついた校外実習だった。

                          

                   ⇑ 玄関のデザインは円筒埴輪を模しています ⇑

                       

             ⇑ 削りだす前の滑石 ⇑            ⇑ 製作した物 左:管玉の人型埴輪 
                                                 右:勾玉の一種 桜型

                          

            ⇑ 竪穴式住居 すごく機能的ですが、寒さにすごく弱そうです。 ⇑

9月26日(水)午前中「校外実習」①「東大阪市消防局防災学習センター」

   『第部 防学習&体験』


 この日は一日行事だったが、発行号を午前中と午後に分けて紹介しよう。その理由は簡単。もうおわかりでしょうが、発行号数を増やしたいだけのこと。(発行一部につき臨時手当が出るわけでもないのだが)

 本気の冗談はさておき、近鉄奈良線若江岩田駅に集まった我々は、一路「東大阪市防災学習センター」を目指した。歩くこと約10分で到着。

自宅が近い私は、以前から「大きな消防署だ」と「すごい!壁をのぼったり、空中をロープ移動してるぞ」
くらいしか思ってなかったのだが、「ここにこんなすごいものがあるとは」というのが見学後の実感だ。

 まず最初に、防災一般についてのお話を聞いて、それから「通信指令室」へ。ここは凄い。消防車や救急車の出動要請に応じて出動・配車指令が一括して行われる。しかもすべてのシステムがコンピューター化されているのだ。

 さて、次の体験コーナーがまた凄い。本格的な設備だ。 内容を列挙すると

「防災体験シアター」(3Dの大迫力、航空映像に私の家の屋根が映っていたのもGOOD)
「二次災害防止体験コーナー」(地震発生直後の家庭内での留意点を学ぶ)
「煙避難体験コーナー」(本当に煙が―――、ハンカチは役に立つ)
「初期消火体験コーナー」(失敗すれば全焼に)
「応急処置体験コーナー」(ここでは地震後の街並みを再現)
「119番通報体験コーナー」(本番であわてずに言えるか)

そして最後に満を持して
「地震体験コーナー」(ド迫力の揺れ、地震の怖さを実感)。

 いつものようにコーナー全部を、写真でお伝えしたいが、残念ながら撮影禁止。
特許申請の装置を使っているからだそうだ。みなさん、ぜひ直接体験を。 親切丁寧に説明、案内してもらえますよ。

 職員の皆さん、大変お世話になりました。生徒たち、付添職員の防災意識は大きく高まりました。

 最後に玄関前で記念撮影。

 一行は再び若江岩田駅にもどり電車に乗って次の目的地「東大阪市立埋蔵文化財センター」へ。

                          

              ⇑ 防災学習センター。訓練所が横に併設されています ⇑

                        

⇑ 消防車や救急車が並んでいる姿は圧巻です ⇑     ⇑ 全体説明中……学習ビデオも視聴しました ⇑

                         

                   ⇑ 午前ラストの集合写真。勉強になりました ⇑

八尾翠翔高校・体験入学いよいよ今週末です!

秋の体験入学が、今週末(10月20日(土)にせまってきました。
きれいなポスターもできました。 10_20_2012TikenBrochure

平成24年度 大学社会見学会 報告

さる10月11日(木)に恒例の大学社会見学会が行われました。今年、大学は神戸学院大学ポートアイランドキャンパスを、社会施設は平清盛歴史館ドラマ館モザイクを見学しました。大変、充実した見学会になったと感じております。

朝8時30分に観光バスで近鉄八尾を出発しました。車中で片岡会長のごあいさつと徳丸校長あいさつ、参加者自己紹介を行った後、進路部長中須賀からの神戸学院大学についての簡単な紹介説明と総務部長酒井からの清盛と神戸兵庫の関わりについての解説をさせていただきました。JR神戸線に遅れが出ていたので、阪神高速神戸線が混むことが予想され、湾岸線を利用し、9時40分くらいにはポートアイランドキャンパスに到着しました。まず、そのキャンパスの広さと美しさにみなさん驚かれていたようです。担当の高山修氏から大学の学部や学生生活についての説明と、入試の概要を解説してもらいました。その後、図書館や裁判の模擬授業を行う教室、薬学塔の1階などを見学しました。高い機能性と美しさを兼ね備えたデザインが満ちあふれた様子に感心するばかりだったと思います。そして、ポートピアホテル直営の学内レストラン「ジョリポー」で昼食をとりました。全員で食べたジョリポーランチは、スープ、パン(ライス)、メインディッシュ(この日はピーマンの肉包み揚げでした)、コーヒー紅茶がついて700円と大変リーズナブルでとてもおいしかったと思います。学生食堂にしては高級感がありますが、今の大学生はたまにはこういうところで食べるのでしょうね。近所の一般の方も多数来られているようでした。

昼からはまず大輪田泊にある歴史館に行きました。十二単衣の重さを実感できる装置や兜、槍の重さを試すことができるコーナーでひとしきり盛りあがった後、清盛が大輪田泊修築に至った経緯を発掘された器や地層モデルなどで学びました。

それから、ハーバーランドに移動し、はじめにセンタービル1階で開催されているドラマ館を見学しました。福原京と清盛の関わりを解説した短編ビデオの鑑賞、出演者が実際に着ていた服装の展示見学、松山ケンイチの等身像と一緒に写真撮影などを行いました。清盛がこの地に都を作る夢は途上で潰えましたが、その壮大な志のあり方はよくわかったと思います。

最後にモザイクに行き、写真撮影と土産物の購入を行いました。魅力的なスイーツなどの店がたくさんあって、目移りする感じだったと思います。ラスクだけでもいろいろな店に、たくさんの種類のものがありました。帰りのバスの中で、参加の保護者を代表して企画広報委員長の井田さんからコメントをいただき、一年学年主任竹内から学校側を代表して言葉を述べさせていただきました。5時過ぎには近鉄八尾にもどり、解散の運びとなりました。井田さん、進路対策委員長の立永さんをはじめ、下見にいっていただいたお母さん方など今回いろいろとご尽力いただいた方々、本当にご苦労様でした。ありがとうございました。

 

 

この1冊:第19回 『世界名言集』(岩波書店)

「ただ、返すがへす、初心を忘るべからず」(世阿弥『風姿花伝』)

ものごとを習得していくうえでの心の持ちようとしては最高のアドバイスのひとつです。「ただ、返すがへす(とにかく、くれぐれも)」というところに、後につづく者に強い警鐘を鳴らす気持ちが響いています。それだけ、この大切なことがおろそかにされやすいということなのかもしれません。経験を積み、技を極めた人による肺腑の言といえるでしょう。短くて、しかも的確に、ビシッと修業における大切な本質を射貫いています。

いくつかの詩や文章を何らかの意図によって編集したものを「アンソロジー」といいます。選ばれるものは短いものから長いものまであります。今回とりあげるのは古今東西の名著から集められた短い言葉の選集です。最初にとりあげた世阿弥の言葉もこの本に載っているものです。もともとは岩波文庫の別冊シリーズ『ことばの花束』『ことばの贈物』『ことばの饗宴』『愛のことば』として刊行されたものを再編して一冊の本としてまとめたものです。

学校の国語や歴史の時間などに名前は聞くものの、実際に手にとって古典的名著を読もうという人は少なくなってきているようです。名著とされる本にはやはりそれなりのすばらしさがあるのですが、まず読んでみないことにはその価値もわかりません。「原典そのものから喚起力のある章句を切り出して提供したらどうか。わずか数行であってもそれは要約や解説などとは違って、原典の生の魅力を伝えることができるはずだ。」(岩波文庫編集部)上記の四冊のアンソロジーがまずそういう意図に沿って編まれていったのです。解説の類は付いていないのですが、とても印象深い章句がたくさん集められています。蛇足になりますが、こういう感想もあるのだという参考までに簡単なコメントを加えました。現代を生きる我々に省察をうながす言葉をいくつか一緒にみていきましょう。

「僕が考えてみるのに、もし悪魔が存在しないとすれば、つまり人間が創り出したものということになるね。そうすれば人間は自分の姿や心に似せて、悪魔を作ったんだろうじゃないか。」(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)…深い真実を突いているだけに、恐い言葉です。日本にも「心の鬼」という表現がありますが、悪魔は人間の似姿だというのです。同じ理屈で天使も人間の似姿なのかもしれませんが、悪魔といわれたほうが真実味を帯びて感じてしまうのはなぜかと考えさせられます。

「世間には、悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない。」(吉野源三郎『君たちはどう生きるか』)…自他が幸せになるためには精神的な強さが必要になるということです。自分の弱さを克服するというのは、目立たないことですが、各自にとっての大きな試練ですよね。プラトンもあらゆる勝利のなかでも自己に対する勝利が最高のものだと言いました。

「手軽なことだ、災難を身に受けない者が、ひどい目にあってる者らに、あれこれと忠告するのは。」(アイスキュロス『縛られたプロメーテウス』)…プロメテウスは天上の火を盗んで人類に与えたために、ゼウスから処罰されたギリシャの神です。縛られた状態で半永久的に猛禽類に内蔵をむさぼり食われるのです。これも耳の痛い言葉ではないでしょうか。トラブルの最中あるいは事後に、高みの見物を決め込んだ人間から発せられる言葉は往々にして当事者の心の傷をより深くしてしまうものです。無神経なこの種の言葉が横行するマスコミなどに対する批判精神を失いたくないものです。

「没落してゆく民族がまず最初に失うのは節度である。」(シュティフター『水晶他三編』)…最近の国内外の様子をみても、大丈夫かなと思ってしまいますよね。特に地位も立場もある大人の子どもじみた行動を目にしたり、経済効率ばかりをしゃにむに追求する言葉が飛び交うのを聞いていると情けなくなります。「これは恥ずかしい」と思う気持ちを無くしてはいけないのではないでしょうか。人はパンのみによって生くる者にあらず。しかし、現実には食糧なしには我々は生きてはいけません。けれども、誰にでも食べ物さえ与えていればそれで満足すると考えるのも、人間を見くびった驕りというものでしょう。

「嫉妬に御用心なさいまし。嫉妬は緑色の目をした怪物で、人の心を餌食にしてもてあそびます。」(シェイクスピア『オセロウ』)…人の心を餌にするというところよりも、「緑色の目をした」という表現が妙に生々しくて真に迫っています。用心していても、この怪物は緑色の目を輝かせて我々を翻弄します。別に恋愛にかぎらず、うらやんだり、やきもちを焼いたり、人間にとって、この怪物は最大の難敵ではないでしょうか。特に身近な存在に対してこの怪物は活発化するからやっかいです。優しき勇者オセロウでさえこの怪物には勝てず、無実の最愛の妻ディズディモーナを絞め殺してしまったのでした。

?「音楽について話す時、一番いい話し方は黙っていることだ。」(シューマン『音楽と音楽家』)…芸術を味わうのに余計なおしゃべりは禁物です。鑑賞において、音楽は聴くものであり、絵は見るものです。まずは言葉には表しがたい感動を大切にしなければなりません。よくコンサート会場や展覧会場などであれこれと蘊蓄(うんちく)をかたむけている人がいますが、そのおしゃべりの言葉が真の音楽や絵の姿を隠してしまっているのではないかと反省してみることが必要です。そういうスノビズムと真の批評とは違うのです。最近に亡くなられましたが、このロマン派の巨匠シューマンの本の翻訳者である吉田秀和さんは数少ない本当の芸術批評家でした。

他にも、この本には1340個におよぶ名言が収録されています。文庫サイズの『ことばの花束』と『ことばの贈物』も図書館にあります。大部な古典の名著はどうも…という人も、こういうかたちで古今東西のすばらしい言葉にふれてみてはどうですか。現在を生きる自分の心に響く言葉に出会えるかもわかりません。本を読む時には、そういう言葉との出会いを大切にしたいものです。

10月20日(土)体験入学に関するお知らせ

持ち物
上履き、筆記用具、(体操服は特に必要ありません)
受付場所(以下の地図を参考にしてください。)

学校までの地図
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この1冊:第18回 正田ひとみ 『藤原高子』(ロマン・コミックス人物日本の女性史)

今年度、本校の1年生の古典授業では夏休み明けの漢文につづいて、『伊勢物語』を扱っています。『伊勢物語』は歌物語というジャンルに属します。一首もしくは数首の和歌が出てきて、その歌を中心にストーリーが展開していくのです。テーマとしては男女の情愛を描いたものが多く、また在原業平(ありわらのなりひら)という実在の人物を思わせる男性が主人公として登場することが多いのです。その描かれ方も『伊勢物語』では洗練された王朝文学らしい美しさをたたえたものになっています。平安貴族にとってその美はひとつの理想的なもので「みやび」と呼ばれました。伊勢物語は「みやび」の文学です。(本校がある信貴高安のふもとは伊勢物語と業平伝説ゆかりの地でもあります*。)

さて、教材としては「芥川」という章段から読みはじめました。2、3年生も1年時に授業で読んでいるはずですが、ざっとあらすじを紹介します。ある男には長年にわたって思いを寄せて求婚しつづけてきた女がいました。どうしても自分の思いをとげたい男はとうとう女を連れ出して、恋の逃避行をします。途中、激しい雷雨にみまわれた男は女を荒れ果てた倉にかくまいました。ところが、その倉には鬼がいて、女は喰われてしまいます。男はたいへん悔しがるのですが、あとの祭りだったというものです。この「男」というのが在原業平であり、「女」というのが今回とりあげる本の書名になっている藤原高子だと想定されています。「高子」と書いて「たかいこ」と読みます。

高子は藤原氏の中でも当時権勢を誇っていた北家(ほっけ)に生まれました。清和天皇に入内(じゅだい)して、二条后(にじょうのきさい)と呼ばれ、のちの陽成天皇を生んで皇太后にまでなります。その彼女がまだ入内する前に業平と恋仲であったとされているのです。当時はまだ十代半ばの高子と男盛りの業平の恋は、二人の置かれた地位や立場を考えると、とうてい許されるものではありませんでした。業平は王家の血を引く貴公子でありながら低い身分に甘んじさせられていて、藤原氏に対抗する勢力の一人だったのです。この本はコミックですが、たいへんよく調べて書かれた内容になっています。作者の想像によって補われている部分も多く、すべてを史実だとするわけにはいきませんが、業平との許されぬ恋に激しく身を焦がす女性を活写していてあますところがありません。人物描写に血が通っていて、キャラクターの描きわけもていねいにされていると思います。和歌を引いた場合にもわかりやすい現代語訳を付けてくれています。

恵まれた人間が幸せになるとはかぎりません。美貌、才能、家柄に恵まれているがゆえに、人一倍にいろいろな苦しみを味わわねばならなかったのが、藤原高子という女性だったようです。このコミックでの描かれ方とは違いますが、年下の帝に入内して他の多くの妃たちと後宮暮らしをした高子にとって、若き日の業平との恋の思い出は忘れられないものだったのではないでしょうか。とかく艶聞の多かった(敵対する勢力による画策だった可能性がありますが)高子の胸中深くに秘められた面影は誰のものだったのか。入内の後、大原野の氏神祭に后となった高子が出かける際に警護役に任命されたのが業平だったのはいろいろと考えさせられるものがあります。その時の二人の心のうちはどうだったのでしょうか…

 白玉か 何ぞとひとの 問ひし時 露と答へて 消えなましものを

「芥川」に出てくる悲しむ男が詠んだ歌です。(こうなるのであれば)愛しいあのひとが草上に光るものを「あれは真珠なの、何なの」と尋ねた時に、あれは露というものだと答えて、この我が身もその露のようにはかなく消えてしまえばよかったのに…。愛しさ、せつなさ、かなしさ、やさしさがにじみ出る歌ですね。愛の対象の喪失は深い絶望と哀しみをもたらします。実は自分の愛する女性が突然に姿を消すという話は、たとえば『ダンス・ダンス・ダンス』をはじめとして村上春樹の作品にもよく出てきます。というよりも、それは太古の昔から伝わるいにしえの物語の原型の一つのような気がします。日本の神話でもイザナギはイザナミを失ったことを嘆き悲しむのです。「芥川」も愛の対象である異性を突然に喪失する話型のティピカルなものだと思います。神話のような我々の集団的な記憶にある話のかたちが、王朝の雅やかな文化と結びつき、そこに現実の業平と高子の人間模様を溶かし込んだところに、我々が味わう「芥川」の魅力があるように思うのです。

このコミックにとどまらず、生徒のみんなにはできれば対訳本で『伊勢物語」を読んでほしいのです。各章段が短いので読みやすいですし、そこに展開される人と人との関わりからいろいろなものを感じとってほしいと思います。「あづさ弓」という章段など、授業で扱うたびに感情移入して涙を流す女生徒が出るくらいです。もちろん、出てくる単語や文法も重要事項ばかりなので、古典のよい勉強にもなります。入試問題でも和歌にからめて出題されることが多いですし。自分で古典物語の原文を読んでみたいという生徒には、まず『伊勢物語』を勧めています。

*『伊勢物語』「筒井筒」には「高安」の地名が登場する。本校の近くも物語の舞台とされており、様々な業平をめぐる伝承が存在する。たとえば近代になるまで、高安の地の旧家では東向きの窓を作らないという風習があったらしい。実際に、本校の女性教員でも祖母から「つらゆきさん」に見られるから東向きの窓をみながら食事をしてはいけないとたしなめられたという方がいる。「なりひら」が「つらゆき」に変わっているのだが、最近まで伝説が受けつがれていたことがわかる。「筒井筒」を授業で教える時には、業平は奈良の業平道から法隆寺を経て龍田山を越えて云々という話をする。ただし、「高安の女」ははしたなく描かれ、恋に敗れるほうであるが…。現代風の自由な読みでゆくと、高安の女への同情も多いかもしれない。

この1冊:第17回 『学研の大図鑑 危険・有毒生物』

今回はちょっと変わったところで、図鑑をとりあげます。この本は我々人間にとって危険な存在である生物たちを写真と解説文で紹介したものです。特に日本近辺にいるものを扱っています。生物が強い攻撃性を持ったり、有毒になったりするのは、餌をとったり、身を守ったりするためでしょう。それはそれぞれの生物たちが生命を維持してゆくために、身につけているものです。

エコロジカルな観点からは、あらゆる生物生命ができるだけ共存共生してゆかねばなりません。ですから、人間にとって危険だからといって、やみくもにある特定の生物を滅ぼしてしまうのは間違っているでしょう。人間は万物の霊長ですが、その分の責任もあるのです。また、食生活においても、素材となる動植物についての正しい知識を身につけておくことが大切です。できるかぎりの共存共生をはかり、生き物によって危ないめに遭わないためには、人間のほうも正しい知識を身につけなければなりません。

この本は純粋に知的な好奇心から読んでも非常におもしろいと思います。私がこの分野の生物に興味があるのは、幼い頃から虫捕りや釣りをしてきたからです。たとえば、釣りをしていると鋭い歯やエラを持った魚、ヒレや身に毒を持った魚やへびなどに接する可能性があります。ですから、昔からこの手のものはよく読んできたのですが、この本はいままでで一番おもしろいですし、情報量も豊富です。危険度によってA(重症化や死亡する可能性が高いのですぐに医療機関にかかる必要がある)B(場合によっては重症化する可能性もあるので注意が必要)C(応急手当のみで済むことが多い)の三つの段階にそれぞれの生き物が分けられています。

海にいる生物では鋭い歯を持つサメや尾に毒棘を持つエイの仲間が危険なのはよく知られています。しかし、小さな生物、日本近海にいる巻き貝(刺されると呼吸困難になる猛毒のアンボイナガイなど)やタコ(フグ毒と同じテトロドトキシンを持って咬みついてくるヒョウモンダコ)やカニ(スベスベマンジュウガニなど)の類でもAにランクされているものがたくさんあります(このカニは食べなければ大丈夫です。一般的にはツメバサミの部分が黒い種類のカニは食べてはいけないとされています)。磯遊びでも何かなしに見たこともない生き物にさわるのは本当は危険なのです。(裸足で磯辺を歩くのも厳禁です。)たとえば、映画『ニモ』にも「ドリー」という名前で出ていた美しいブルーの「ナンヨウハギ」という魚は背びれの棘に非常に強い毒を持っているのでAランクになっています。海釣りの初心者が知らずに痛い目にあうアイゴゴンズイという魚もいます。

この本には載っていませんが、ウナギも生で食べてはいけません。弱いですが、生の血に毒があるのです。ウナギ料理には刺身はありませんよね。熱を通せば、その毒性は消えるのです。価格高騰ということもあってか、最近、大阪でも天然のウナギ釣りがブームになっていましたが、自分でさばいたりしたあとは、まな板などについた血をよく洗う必要があります。自分で獲ったり釣ったりした魚を食べるときには、一応図鑑やインターネットで調べるべきです。特に、あまり見たことのないものについては、きちんと調べましょう。一般的な姿をしていても、身の中に寄生虫がいるので、よく熱を通さなければならない魚もいます。(バラエティ番組の無人島サバイバルなどでも、自分で獲った魚を食べる場面が出てきますが、あれもきちんと専門家のアドバイスを受けているはずです。そこでよく食べられているアオブダイなどは大きな成魚になると、肝臓にシガテラ毒を持つものが出てきます。)

虫の世界では蜂でもスズメバチの仲間はすべてAですが、その他はBもしくはCになっています。ただし、アレルギーのショック症状が出る人がいるので、BやCの蜂でも用心するに超したことはありません。(幼い頃にカブトムシを獲りに行って大きなスズメバチに追いかけまわされた経験があるので、私も蜂は大の苦手ですが、この虫と人間とのつきあいは長くて、人類の食文化や生物界の食物連鎖という観点からはなくてはならない昆虫ですね。)

日本にもサソリがいることを知っていますか。2種類いるのですが、大きい方は7㎝ほどになります。我々はサソリというと猛毒で、あの尾の針で刺されると命が危ないと思っていますよね。出会ったらパニックになりそうですが、日本に生息する2種類のサソリとも毒性は弱くてランクはCになっています。(ただし、輸入された木材等を経由して入ってきたものは要注意です。)

最近、日本でもセアカゴケグモが繁殖していることが問題になっています。特に関西に多く、幼い子どもたちが遊ぶ公園などにもいるので困ったことです。この本によると、「α-ラトロトキシン」という神経毒を持っているそうです。咬まれると、激しい痛みに続いて、ひどくなると呼吸困難、脱力感、頭痛、不眠などの症状がでるそうです。このクモ1匹でマウス7匹が死んでしまうほどの強毒です。ランクはBになっていますが、万が一でも、咬まれたらすぐに病院に行かなければなりません。(クモに咬まれたら、どんな特徴があったかを覚えておく必要があります。)赤い斑点がある綺麗な小さなクモを見つけたら、近づかないようにしましょう。そして、すぐに大人に報告してください。

植物でも園芸種の球根の類を誤食することが危険なことは知られていますが、この本では我々がよく口にする梅、桃、杏(あんず)もAにランクされているので驚く人も多いのはないでしょうか。何が危険かというと、これらの植物の「葉」「未熟果」「核種子」には強烈な酸が含まれているのです。ですから、特に青梅は生で絶対に口にしてはいけないとされています。また、「硬い種子を割って、内部の軟らかい部分を食べることは非常に危険である」と注意されています(いい香りにつられて幼い子どもが生で梅をかじったり、大人でも桃の種子の中の白い部分を食べようとしていたりしていたら、注意してあげましょう)。古来、日本や中国の民間伝承で梅や桃に邪気を払う力があるとされるのは、この性質が邪悪なものを撃退するとされたからでしょう。我々の食生活に欠かせないこれらの食材に対しても正しい知識を身につけておく必要があるということです。

他にも図書館にはいろいろな種類の生き物の図鑑があります。生物の多様性に親しむのも人生の大きな楽しみではないでしょうか。これは大部な本なので持ち歩くわけにはいきませんが、興味がある人は図書館で読んでみてください。