この1冊:第10回 池田弥三郎『光源氏の一生』(講談社現代新書)

 古典の時間、生徒にその年度で『源氏物語』を最初に教える授業のたびに、私は軽い興奮を覚えます。いよいよ、この子たちにわが国最高の文学作品を紹介することになるのだ、と力が入ります。高校の古典では『源氏』が出てくるのは二年生になってからです。

 まずはじめに、生徒に言うのは、『源氏』はこれまで君たちが読んできた「古文」とは文学的に質が違うものなのだ、ということです。物語に限定すれば、一年生の間に読むものは、ストーリーや人間描写の点で単純なものがほとんどです。(言葉自体が慣れないものなので、それは仕方がありません。)『源氏』はその点で、はるかに複雑です。そして、奥が深い。ヨーロッパで本格的な長編小説が書かれだすのは500年後なのですが、近代に入って、欧米の文学者たちが極東のはるか昔の一人の女性の手によって、このようなすばらしい作品が書かれていたことを「発見」して、驚いたのも無理はありません。

 『源氏』の主人公は言うまでもなく光源氏です。光源氏というと、どうしても女性遍歴を重ねる浮薄な男というイメージを抱く人が多いようですが、彼はけっしてそのような軽々しい男性ではありません。彼は精神的に彫りの深い、陰影に富んだ内面を持つ人物です。たしかに「色ごのみ」の力によって、多くの女性たちと交渉を持ちます。そして、女性たちは一様に大変な苦しみを味わいます。しかし、彼女たちはその死ぬほどの苦しみと引き換えに「女性」としての自分にめざめ、自分たちがこの世にどうして女性として生まれてきたのか、ということを深く了解するのです。それと同時に光源氏自身も大変な苦しみを覚え、より人間的に大きくなってゆきます。また、光源氏は権力を獲得してゆく面でも芯の太い、強い政治力を発揮してゆくのです。これほど深くて複雑な魅力を持ったキャラクターはなかなかいません。

 池田弥三郎の『光源氏の一生』はそういう光源氏を中心に据えて、『源氏』のストーリーのエッセンスをまとめたものです。(したがって、光源氏があまり活躍しない場面や、その死後の世界は扱われていません。)大変わかりやすい文体で書かれています。最初のほうを少し引用してみましょう。

 「その年は、光源氏にとって、さびしいお正月でした。
去年の秋、最愛の妻が、光源氏をあとにのこして、先立ってしまったからです。」

話はこのあと、光源氏の父帝と母更衣の出会いと別れへとさかのぼってゆきます。私自身も大学生の時に、この本によって『源氏』の梗概をつかんだことがその後大いに役立っています。最近では、『源氏』入門書として、漫画を駆使したものなど様々な本が出ていますが、この一冊がとても親しみやすくて、すぐれた『源氏』への、そして古典文学への入門書であることは変わりありません。新書として1964年に発行された本書が70刷を重ねていまだに読まれつづけていることによっても、それが証明されていると思います。

 

コメントは受け付けていません。