この1冊:第18回 正田ひとみ 『藤原高子』(ロマン・コミックス人物日本の女性史)

今年度、本校の1年生の古典授業では夏休み明けの漢文につづいて、『伊勢物語』を扱っています。『伊勢物語』は歌物語というジャンルに属します。一首もしくは数首の和歌が出てきて、その歌を中心にストーリーが展開していくのです。テーマとしては男女の情愛を描いたものが多く、また在原業平(ありわらのなりひら)という実在の人物を思わせる男性が主人公として登場することが多いのです。その描かれ方も『伊勢物語』では洗練された王朝文学らしい美しさをたたえたものになっています。平安貴族にとってその美はひとつの理想的なもので「みやび」と呼ばれました。伊勢物語は「みやび」の文学です。(本校がある信貴高安のふもとは伊勢物語と業平伝説ゆかりの地でもあります*。)

さて、教材としては「芥川」という章段から読みはじめました。2、3年生も1年時に授業で読んでいるはずですが、ざっとあらすじを紹介します。ある男には長年にわたって思いを寄せて求婚しつづけてきた女がいました。どうしても自分の思いをとげたい男はとうとう女を連れ出して、恋の逃避行をします。途中、激しい雷雨にみまわれた男は女を荒れ果てた倉にかくまいました。ところが、その倉には鬼がいて、女は喰われてしまいます。男はたいへん悔しがるのですが、あとの祭りだったというものです。この「男」というのが在原業平であり、「女」というのが今回とりあげる本の書名になっている藤原高子だと想定されています。「高子」と書いて「たかいこ」と読みます。

高子は藤原氏の中でも当時権勢を誇っていた北家(ほっけ)に生まれました。清和天皇に入内(じゅだい)して、二条后(にじょうのきさい)と呼ばれ、のちの陽成天皇を生んで皇太后にまでなります。その彼女がまだ入内する前に業平と恋仲であったとされているのです。当時はまだ十代半ばの高子と男盛りの業平の恋は、二人の置かれた地位や立場を考えると、とうてい許されるものではありませんでした。業平は王家の血を引く貴公子でありながら低い身分に甘んじさせられていて、藤原氏に対抗する勢力の一人だったのです。この本はコミックですが、たいへんよく調べて書かれた内容になっています。作者の想像によって補われている部分も多く、すべてを史実だとするわけにはいきませんが、業平との許されぬ恋に激しく身を焦がす女性を活写していてあますところがありません。人物描写に血が通っていて、キャラクターの描きわけもていねいにされていると思います。和歌を引いた場合にもわかりやすい現代語訳を付けてくれています。

恵まれた人間が幸せになるとはかぎりません。美貌、才能、家柄に恵まれているがゆえに、人一倍にいろいろな苦しみを味わわねばならなかったのが、藤原高子という女性だったようです。このコミックでの描かれ方とは違いますが、年下の帝に入内して他の多くの妃たちと後宮暮らしをした高子にとって、若き日の業平との恋の思い出は忘れられないものだったのではないでしょうか。とかく艶聞の多かった(敵対する勢力による画策だった可能性がありますが)高子の胸中深くに秘められた面影は誰のものだったのか。入内の後、大原野の氏神祭に后となった高子が出かける際に警護役に任命されたのが業平だったのはいろいろと考えさせられるものがあります。その時の二人の心のうちはどうだったのでしょうか…

 白玉か 何ぞとひとの 問ひし時 露と答へて 消えなましものを

「芥川」に出てくる悲しむ男が詠んだ歌です。(こうなるのであれば)愛しいあのひとが草上に光るものを「あれは真珠なの、何なの」と尋ねた時に、あれは露というものだと答えて、この我が身もその露のようにはかなく消えてしまえばよかったのに…。愛しさ、せつなさ、かなしさ、やさしさがにじみ出る歌ですね。愛の対象の喪失は深い絶望と哀しみをもたらします。実は自分の愛する女性が突然に姿を消すという話は、たとえば『ダンス・ダンス・ダンス』をはじめとして村上春樹の作品にもよく出てきます。というよりも、それは太古の昔から伝わるいにしえの物語の原型の一つのような気がします。日本の神話でもイザナギはイザナミを失ったことを嘆き悲しむのです。「芥川」も愛の対象である異性を突然に喪失する話型のティピカルなものだと思います。神話のような我々の集団的な記憶にある話のかたちが、王朝の雅やかな文化と結びつき、そこに現実の業平と高子の人間模様を溶かし込んだところに、我々が味わう「芥川」の魅力があるように思うのです。

このコミックにとどまらず、生徒のみんなにはできれば対訳本で『伊勢物語」を読んでほしいのです。各章段が短いので読みやすいですし、そこに展開される人と人との関わりからいろいろなものを感じとってほしいと思います。「あづさ弓」という章段など、授業で扱うたびに感情移入して涙を流す女生徒が出るくらいです。もちろん、出てくる単語や文法も重要事項ばかりなので、古典のよい勉強にもなります。入試問題でも和歌にからめて出題されることが多いですし。自分で古典物語の原文を読んでみたいという生徒には、まず『伊勢物語』を勧めています。

*『伊勢物語』「筒井筒」には「高安」の地名が登場する。本校の近くも物語の舞台とされており、様々な業平をめぐる伝承が存在する。たとえば近代になるまで、高安の地の旧家では東向きの窓を作らないという風習があったらしい。実際に、本校の女性教員でも祖母から「つらゆきさん」に見られるから東向きの窓をみながら食事をしてはいけないとたしなめられたという方がいる。「なりひら」が「つらゆき」に変わっているのだが、最近まで伝説が受けつがれていたことがわかる。「筒井筒」を授業で教える時には、業平は奈良の業平道から法隆寺を経て龍田山を越えて云々という話をする。ただし、「高安の女」ははしたなく描かれ、恋に敗れるほうであるが…。現代風の自由な読みでゆくと、高安の女への同情も多いかもしれない。

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