この1冊:第20回 岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書)『いま哲学とはなにか』(岩波新書)

 書店の思想書コーナーに行くと、「わかりやすさ」を売り物にした本が山積みしてあります。いわく「~分間でわかる」現代思想、いわく「誰でもわかる」有名思想家の哲学、といったぐあいです。翻訳語を基本とするために日本の近代哲学が必要以上に難しくなってしまったことは間違いないでしょう。哲学分野が多く出題される大学入試の現代文の評論が難しくなる原因のひとつもそこにあります。ですから、少しでも親しみやすくするためにそういう本があることを否定はしません。しかし、一人のすぐれた思想家が自分の全人格をかけて思索した思想内容がそう簡単に理解できるものでもないということもふまえておく必要があります。今回は少し長くなりますが、非常に良心的な哲学の入門書を2冊紹介したいと思います。

 岩田靖夫の哲学書は流行性を前面に出すこともなく、記述においても宣伝的にわかりやすいことを主張していません。けれども、その内実的な価値は非常に高いと私は思います。第一に正統的な哲学の教養を駆使して、正確にして深い思索内容が展開されていると感じます。哲学の歴史を解説しながら、そこに現代の問題を見いだし、考えてゆくのです。単なるわかりやすい解説に終わることなく、哲学思想をめぐる自分の考えがていねいに述べられています。第二に今回紹介する2冊は文体的にもたいへんわかりやすく工夫して書かれています。何よりも、著者が現代の課題にとりくむ哲学者として読者に向かい合う真摯な姿勢がすばらしいのです。この人の本はこれからの日本の若者にとって良い指針の一つになるにちがいないと私は思います。思想でさえ手軽に扱われるような時代だからこそ、老若男女を問わずに真面目に考える、「哲学する」ことが求められるのですから。プラトンは哲学の言葉によって魂を咬まれた、と言いました。知を愛する好学心にひとたび目覚めた人間は真理を求めて学び、考えつづけるのです。

 ここでは私なりに岩田靖夫の考えの要点をまとめてみたいと思います。高校生向けによりかみくだいてみました。 さて、我々は一人では生きてゆけません。人と人のつながりの問題は、人間にとっては避けては通れない大きな問題です。それをめぐる岩田の考えの特徴は大きく二つに分けることができます。

Ⅰ 社会のあり方を考える哲学
 まず我々の社会や政治のあるべき姿を考える哲学について考えてみましょう。そこには現代社会においても同じ問題が存在しつづけていることがよくわかります。岩田が採りあげている思想家はプラトン、アリストテレス、ロールズです。

 プラトンは理性的な哲学者が「善」の理想にしたがって行う「哲人政治」を説きました。大衆の欲望のままにしたがう政治は愚かな傾向に支配され、やがてすさんでしまいます(衆愚政治)。しっかりと思索をつづける者がトップの為政者となることで理想の社会が実現するとプラトンは考えたのです。しかし、現実的には権力の座についた人間は堕落しやすく、特定の人間による執政は独裁政治を生んでしまう可能性があります。

 そこでアリストテレスは中庸の徳を持つ人々による「中間の国制」を説きました。それは良識ある人々が自分の能力にのっとって、自由と平等の自覚のもとに集う社会形態です。この考え方が現在の「デモクラシー」、民主主義の基礎になっているのです。ただし、この考えにも欠点があります。能力主義がゆきすぎると、社会的弱者と呼ばれる人々は幸福になる可能性を奪われることになります。

 アメリカの社会政治学者のロールズは「正義」と「能力共有財産」という考えを説きました。現代のような多種多様な文化や考え方を持つ人々が交流する世界にあって、行動基準となるのは公正さとしての「正義」です。ロールズの「正義」とはあらゆる人が互いの自由と平等を認めあうことです。そのためには、たとえ能力的に劣った人がいたとしても、その人も自由と平等を保障されなければなりません。個人の「能力」はもともと偶然に与えられたものでしょう。それは「共有財産」として活用されなければなりません。そうすれば、すぐれた能力を持つ者が自分以外の人々のためにその能力を用いて、より住みやすい社会を作っていくのが正しいということになります。これはこれからの福祉や社会保障の大切さを支える思想だといってよいでしょう。

 プラトンとアリストテレスの政治哲学は理想主義と現実主義の源泉です。今の政治思想も基本的にはこのどちらかにもとづくものがほとんどでしょう。ロールズの思想はグローバル社会において共に生きるということを真剣に考えるための手がかりになります。

Ⅱ いかに生きるべきかを哲学的に考える
 我々は人と人のつながりの問題を自分の生き方にひきつけても、よく考える必要があります。岩田靖夫はヨーロッパ思想の根源にあるヘレニズム(ギリシア思想など)とヘブライズム(ユダヤ教、キリスト教など)にさかのぼって、現代を生きる哲学者として、その課題に取り組むのだと言っています。

 古代ギリシアのソクラテスは人は単に生きるのではなく、正しく善く生きることが大切だと説きました。つまり、倫理的に生きることが人間の使命だと考えたのです。倫理的に生きることには他者のかけがえの無さを認めて生きるということも含まれるでしょう。

 しかし、人間はともすれば自己中心的な生き方をする存在です。他人も含めて、世の中のものを自分にとっての損得や好悪で価値のランク付けをしながら生きています。言わば、自己中心的な自分はかけがえのない価値を持つ他人に囲まれて生きているのです。そういう自己と他者を結ぶことができるのは「愛」や「善意」になります。人間社会の現実的なルールは報酬と報復に基づいています(ハムラビ法典にいう、目には目を、歯には歯を、ということです)。それに対して、無償の愛や究極の赦しがヘブライズムの宗教によって唱えられました(大まかに言えば唯一の「神」が持つ絶対的な価値を個々の人間も分け持つはずだというものです)。

 その考えを現代に受けついだ一人にユダヤ人のレヴィナスという哲学者がいます。レヴィナスの思想の基本は、本来「愛」や「善意」はこちらからの一方通行のものだ、というものです。そこに対等な報いを求めるところには本当の愛や倫理はありえない。そうなってくると、人間を超えるものでないと、人間を最終的には価値づけることはできないという宗教や信仰の領域に入ってきます。岩田は宗教のことにもたくさん言葉を費やしていますが、ここではふさわしくないので、とりあげません(興味ある人は実際に本文を読んでみてください)。とにかく、殺人や戦争は無償の愛に基づく究極的な赦しによってしか無くなることはないと考えられているのです(ナチスによって家族を虐殺されたレヴィナスがこういう思想を説くところに迫力がありますね)。

 さて、実際に我々はどこまで倫理的な生き方を貫けるのでしょうか。ますます功利的な自己中心主義が幅を利かせる現代社会で、自分だけがどこまでも潔癖に正しく生きることができるのでしょうか。また、大衆のあり方が混迷し、国際的にも問題が噴出している社会政治は今後どうなってゆくのでしょうか。どういうあり方を探ってゆけばよいのでしょうか。そこで生きる我々はどうすればいいのでしょうか。他の人の考え(岩田靖夫のものも含めて)はあくまでもその人のものにしかすぎません。これらは社会を生きる一人ひとりが真剣に考えるべき問題なのです。そのうえで、みんなでしっかりと話しあってゆくべきことだと思います。これから青年期を経て社会人になってゆく高校生のみんなにもぜひ考えていってほしいと思います。岩田靖夫の本はそのための最高の参考書になるでしょう。

☆定期的に本校のホームページにアップしてきた「この1冊」も20回を重ねました。今後のアップは不定期になると思います。翠翔の生徒たちよ、多くの書物を手にとって読みに読むべし。そして、精神的に成長し、明日を生きる新たな自分を創造しつづけていってください。図書館にあるたくさんの本は君たちの手にとられ、読まれることを待っているのです。これまでの文章が少しでもその導きの役割を果たせたならば、と思います。

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