この1冊:第21回 武者小路実篤『友情・初恋』(集英社文庫)

 授業で生徒にできるだけたくさんの小説を読むように勧めると「オススメの作品はありますか」と言われます。日本の現代作家の作品や外国の有名な作品を出して、あれこれ紹介するのですが、なんとなく我が国の近代小説は後回しになります。理由は、凝った文体で書かれ、使われている漢字も難しいものが多いからでしょうか。外国の小説は新訳が出ると、言い回しが現代風に変わってゆきますが、オリジナルの日本近代小説はもちろんそのままです。今の高校生たちが自分で読んで、用語や言い回しがわかりやすくて、しかも内容的にもそれなりにおもしろいものはなかなかありません。でも、全然無いかというとそういうわけでもなくて、今回紹介する『友情』はその条件を満たす作品だと思います。

  『友情』は若い男性二人女性一人による三角関係を描いたものです。その点だけで言えば、君たちが2年生で学ぶ夏目漱石『こころ』と同じになります。しかし、どちらも悲劇的にせよ、作品の色調はとても違います。漱石のものが暗くて渋い色調であるとすれば、武者小路のこの作品は、はっきりとした明るい色をたたえています。特に、三角関係の結末の描き方は両者では大きく異なります。

若い作家脚本家の「野島」は友人「仲田」の妹である「杉子」のことが好きになりました。その容貌の美しさに魅せられてしまったのです。しかし、野島は内面的に苦悩を抱えて、ひそかに杉子への思いをつのらせるばかりでした。年長の友である「大宮」だけは野島のそういう葛藤を理解してくれて、そのピュアな恋情が実るように応援し、力を貸してくれるのでした。同じ友人でも仲田の恋愛観は打算的であるのに対して、大宮のそれは純粋で理想主義的なものであり、野島はますます大宮のことを頼りにする気持ちが強くなってゆきます。

「いつでも大宮の処へいくと彼(=野島)は胸がすいた。よき友を有することを感謝しないではいられなかった。自分がなにをしても少なくも大宮だけは理解してくれると思った。」

  ある時、パリに行った大宮から野島は手紙を受け取ります。そこには、同人誌に発表した自分の小説を読んでほしいという旨の言葉が記されていました。その小説には大宮と杉子と思しき人物の手紙のやりとりが書かれていたのです。はじめてこの部分を読んだときに私は杉子の大宮を慕う気持ちの強さにうたれると同時に、そこに記された野島からの愛を拒絶する杉子の言葉の激しさにショックを受けたことを記憶しています。

「私は野島さまの妻には死んでもならないつもりでおります。」
「どうしても野島さまのわきには、一時間以上はいたくないのです。」

杉子にとって野島の自分への求愛は嫌悪感を催す「ありがた迷惑」以外のなにものでもなかったのです。このあたりはこの作品のすぐれた叙述がつづくところで、作者の筆も冴えているところでしょう。ですから、実際に読んでみてほしいのですが、理想的な男性像に近い大宮を一途に慕うゆえに杉子が持つ、若い女性特有の酷薄さがみごとに描かれています。何かを選ぶということは、それ以外の何かを選ばないということです。それを選ぶ基準が恋愛のように感情に基づくものである場合は、選ばれなかったものへの拒絶はおうおうにして強いものになってしまいます。同情や恩義などで恋愛をするわけではありませんから、仕方がないのですが、選ばれずに拒絶された側の心の傷は深く残ってしまいます(恋愛におけるそういう不可避な人間模様をも良い文学はしっかりと描きます)。そういうこともすべて承知したうえで、大宮も野島との友情を犠牲にしてでも、杉子の愛を受け入れることを決意します。大宮の作品を読み、すべてを知った野島は取り乱しながらも「傷ついた、孤独な獅子」としてこれからの人生を強く歩む決意をするのでした。本当は最後の野島の言葉も印象的なのですが、それは実際に自分で読んでみてください。

 野島よりも男性としての容姿や才能の点ですぐれる大宮のほうを杉子が好きになるのは、たいへんリアリティがありますね(杉子ならば精神的にもというかもしれませんが)。挫折しても人は自分の足で立ちあがり、たとえそれが他人よりも劣っているものであっても、持って生まれた自分の資質を受け入れ、しっかりとそれを開墾してゆくことで闘ってゆくしかない、そう思い知った野島にはこれから人間としての真の強さが芽生えてゆくのでしょう。ベートーヴェンが白樺派にとって理想の芸術家のひとりだったのも納得がいきます。(ちなみに容姿が人一倍すぐれない人間が、しっかりとした妻女の支えによって立派に大成してゆく話としては森鴎外の歴史小説『安井夫人』があります。)

短いですし『友情』は白樺派入門としては最適の一冊でもあります。苦難をかかえながらも人道の理想を求める白樺派の作品は若いころに一度は読んでおいたほうがよいと思います。この作品がおもしろかった人は、ぜひとも長編傑作である志賀直哉『暗夜行路』、有島武郎『或る女』にも挑戦してみてください。たしかに長くて読み通すのに忍耐がいるかもしれませんが、それだけに読み終えた時の充実感には格別なものがあります。この両作品も本校図書館に活字が大きく改版された新潮文庫で入っています。

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