この1冊:第23回『よくわかる 百人一首』(日東書院)

 正月が近づいてきました。正月以外の「1月」の異名を覚えていますか。1年生の古典の時間に習うのですが、「睦月」ですね。「むつき」と読みます。さて、正月恒例の遊びにもいろいろありますが、小倉百人一首を使ったカルタ遊びも代表的なものです。よく映像で流れる競技カルタは格闘技のようなすさまじさを持っていますが、一般的には取り札の歴史的仮名遣いに苦労しながら、なんとかとってゆく遊びという感じでしょうか。それに、百人一首の暗誦を課題にする学校も多く、小学校で覚えた人もいるかもわかりません。覚えることの意義を疑問に思わず、歌の意味や作者を意識しない小学生のほうが、五七五のリズムにのった「音の流れ」で丸暗記してしまうので早く覚えてしまうようです。高校生になると「なんでこんなん覚えんとあかんの?覚えて何か意味あんの?」という意識が出てきてしまう人が多いようです。

 できれば百人一首に様々なかたちで親しむのがいいと思いますが、せっかく覚えたり、遊んだりしている和歌の内容を理解し、作者のついても少しは知識を持つほうがいいのは言うまでもありません。教養知識を身につけるプロセスには「理解してから覚える」というものと「覚えてから理解する」というものがあります。日本の芸事、習い事の場合は後者のほうがいいと言われています。まずはごちゃごちゃと理屈をこねないで、身体が覚えるまで反復練習しなさいというわけです。百人一首に親しむのも、そのやり方がいいのですが、百首をいきなり覚えるというのも腰が引ける人が多いと思います。そこで次のような親しみ方はどうでしょうか。まずは百首の中から自分が好きな歌やすでに親しんでいる歌十首を選んで覚えてしまいます。選ぶに当たっては、実際に声に出して詠んでみて、何となくこの歌は好きだなという感じでもいいのです。五首では少なすぎますし、二十首だと心理的に負担になるので十首です。とにかくそれを暗誦できるまで繰り返し覚えます。できれば書いても覚えます。覚えることが必要なのです。覚えたなら、その十首にかぎって、歌の意味や成立の背景、作者のことなどについて解説書を読んで理解します。不思議なことに覚えていない状態でそれらの知識を読んでも頭に入ってこなかったものが、とてもおもしろく感じられるはずです。と同時に知識を持つと作品自体もより感動的にぐっと親しみやすいものに変貌します。これが和歌の「教養が身につく」という状態です。身につくとはまさしく身体で覚えるということにほかなりません。

 今回とりあげた本は、それぞれの歌についてやさしい解説(現代語訳や歌の成立の背景、作者のことなど)と札絵、それにおもしろい二コマ漫画をつけているものです。解説もていねいでわかりやすいですし、二コマ漫画もとても愉快なものです。ここではせっかくですから歌にまつわるおもしろいエピソードを紹介しましょう。この本からも少しはずれるかもしれませんが、本当はこういう知識はくわしければくわしいほどおもしろいものですから。私の好きな百人一首の歌の一つを紹介しましょう。

 いにしへの ならのみやこの やへざくら けふここのへに にほひぬるかな

六十一番の伊勢大輔(いせのたいふ)の歌です。この歌の適当なところに漢字をまじえた形にすると、「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」となります。「いにしへ(古)」と「けふ(今日)」の対比、「八重」につづけて「九重」という言葉の重なりが見事だと言われています。私は音の点から考えて、「奈良」の「な」に「七(なな)つ」が掛けられているという説に賛成です。「七」「八」「九」という末広がりの数字を織り込んでいることになります。それから「けふ」は「キョウ」と発音しますから「京」が意識されていて、「奈良」との新たな対比が含まれているとも考えられます。「いにしえの昔に都があったゆかしい奈良の八重桜、その桜が今の都がある京の宮廷でめでたくも美しく咲き誇っていますよ」という意味になります。何とも明るい調べと内容ですよね。朝廷のいっそうの繁栄をたたえる内容にもなっています。

 平安時代、一条天皇の時に奈良の都から美しい八重桜が朝廷に献上されました。時の中宮は彰子(藤原道長の娘です)で、本来の受けとり役はあの紫式部でした。ところが紫式部はその役を新参女房だった伊勢大輔に譲ったのです。道長はこういう場合は黙って受けとるものではないと言って、伊勢大輔に即詠をうながします。さあ、大変です。当時の中宮彰子の女房は紫式部をはじめとするそうそうたる面々ですし、貴公子たちも一流の人物ばかりです。そういう人々が注視するなかで、即興で和歌を詠むことを求められたわけですから。実は伊勢大輔は四十九番「みかきもり~」歌の作者である大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)の孫で、父親の祐親(すけちか)も歌人として有名でした。いわば歌の名門の家筋の娘だったのです。その名門の血をひく新参女房のお手並み拝見というところでしょうか。一流の文化を身につけた人々のコミュニティのなかに入るのですから、それなりの実力が求められるわけです。それに上手く詠めなければ家門にも泥を塗ることになってしまいます。伊勢大輔は極限のプレッシャを感じたでしょうが、それに負けずに見事に詠んだのがこの歌でした。上に述べたような技巧に加えて、ナ行音が繰り返す見事な調べと晴れやかで格調の高い詠みぶりに一条天皇をはじめ、その場にいた宮中の全員が大変感動したと言われています。伊勢大輔はみごとに名門の子女としての面目を施したのです。(今の感覚で言えば、有名選手の息子としてプロ野球に入った新人選手がチャンスで主力バッターの代打を命じられて、いきなりホームランをかっ飛ばした感じですね。)

 それ以外にもたとえば七十五番の「契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり(かたく約束してくださったあなたの言葉を頼みの綱にしてはかない命をつないできましたのに、ああ今年の秋もむなしく過ぎ去ってゆくようです)」という藤原基俊の歌があります。これははなかな約束を果たしてくれない異性への嘆きの気持ちを詠んだものだと思われがちですが、実は自分の息子に名誉ある大役をさせてあげてほしいということを一族の長者に訴えた歌なのです。これを「親バカ歌」 だと酷評する向きもあるのですが、自身が思うように出世できなかった作者がせめて息子にだけは晴れの舞台をと強く懇願する親心の表現だととればいいのではないでしょうか。何とも人間くさいですね。

他にも数々の伝説に満ちた和歌など、とりあげたい歌がたくさんありますが、きりがないのでこのくらいにしましょう。とにかくそれぞれの歌の背景には少なからぬドラマがあります。それらに親しみやすくふれることができるという点でも、今回紹介する本は推薦に値すると思います。書店に行けば、この時期には様々な種類の百人一首の解説書が出ていますから、自分にあったものを購入するのもいいかもしれませんね。

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