この1冊:第24回 小林秀雄全集第九巻所収「美を求める心」(新潮社)

 今年の大学入試センター試験国語の現代文評論に小林秀雄の文章が出題されました。小林秀雄は以前には受験生泣かせの難しい文章を書く評論家としてよく大学入試の問題にとられていたのです。最近はあまり出題されなくなっていたのですが、センター入試に出たことで久しぶりに話題になりました。テーマが刀の鐔(つば)、文章が小林秀雄ということも響いたのでしょうか、受験生の国語の平均点はかつてないくらいに低くなったようです。木村敏、岩井克人、鷲田清一といったタイプの本格的な評論の出題が続いていただけに、感性面での読み取りも要求される小林のエッセイはそれだけ意外だったということです。?

 私は学生時代の研究対象が小林秀雄でしたから、若い頃からその文章を読みつづけています。それは明治以降に日本人によって書かれた散文としては最高のものだと言われています。私自身、今後日本人が自分たちの文化や文明を省みる時に、小林の業績はなくてはならないものだと考えています。もちろん、日本文化の本質についての小林の見識にも大変深いものがあります。しかし、それだけではないのです。本当に文化の価値を伝えるものは、西欧のものだけでもないし、東洋のものだけでもありません。昔のもののみでもなく、現代のもののみでもありません。地域や時代をこえて、今を真剣に生きる我々の人間性に訴えかけてくるものでしょう。典型的な日本を代表する評論家としてとらえられてきた小林秀雄ですが、その根底にはプラトン、ランボー、ドストエフスキーといった西欧文化を代表する人々や中国の孔子などへの敬愛の思いもあるのです。小林の日本文化への考察はそういうものをいったんくぐり抜けたものだからこそ、それだけ普遍的な価値を持っているのです。?

 では、小林秀雄のどういう文章を読めばいいのでしょうか。小林の文章はちょっとした短文にも鋭い批評精神が生きているものが多いのですが(たとえば、この第九巻に収録されている「読書週間」など、短いうちに本質的な洞察がこめられた見事なエッセイになっています)、本格的には『本居宣長』や『近代絵画』などがいいと思います。『本居宣長』などはこれからも日本人の必読書だと言えると私は考えています。しかし、これらは対象についての知識がない高校生が読むには、難しいと思います。私はそういう質問を受けるたびに小林秀雄文学への入門として「美を求める心」という文章を読むことを薦めています。これは以前は小学校の教科書にも採られたものです。本校図書館には小林秀雄のハンディな新潮社の文庫本が何冊か入っているのですが、この文章はどれにも収められていません。そこでこの新潮社の全集ということになるのですが、旧仮名遣いと旧字体で書かれているので、高校生には読みにくいのが難点です。(ちなみに文庫本では文春文庫の『考えるヒント3』に収められています。)?

「ですから、感ずるということも学ばなければならないものなのです。そして、立派な芸術というものは、正しく、豊かに感ずる事を、人々に何時でも教えているものなのです。」
(「美を求める心」の結びの言葉。引用文は現代仮名遣いと新字体に改めた。)?

 美を求める心とは豊かに感じる心です。美しいものを率直に美しいと感じることのできるナイーヴな感受性をたたえた心です。そういう心で作られた芸術作品が本当に人間らしい文化文明を創ります。そういう心で鑑賞された場合に、芸術作品はその真価を伝えることができるのです。小林秀雄は「美」をめぐっても余計なおしゃべりが横行し、便利さや能率ばかりを追い求めるあり方を一貫して批判しています。心の中でもおしゃべりをやめてまず美しい作品をよく見てみましょう。美術工芸の黙して語らぬ作品でも、いかに豊かなものを我々の心に伝えてくれるでしょうか。作品がその美を伝えてくれるまでの沈黙にたえるために、我々に必要なのは作品に対する深い愛です。美しい芸術作品を大切にする気持ちとその作者への敬愛の念です。歴史や伝統を尊ぶ精神です。それは他の人々と一緒に生きていく時の愛情と同じものでしょう。立派な姿をした人間とは容姿のきれいな人ということではなく、豊かに感じる美しい心を持った人である、と小林は言います。この文章は読者にわかりやすく話しかける文体で書かれているのですが、ここにも美と倫理の一致を説く小林の面目が躍如としています。?

 芸術作品とはその時代を真剣に生きた人間の精神が美しいかたちとなったものにほかなりません。今回のセンター試験に出題された文章で小林が言いたかったのも、乱世に処する平常心が美しいかたちとなったものが「鐔」だということでしょう。乱れた精神状態で乱れた世の中をしっかりと生きることはできません。戦いにあけくれた時代にあって、武器の一部にさえ実用的でかつ美しいデザインを施すのは覚悟を決めた平常心をもって生きた人々の精神である。よく考えてみれば、その精神のあり方はこの現代を生きる私たちにも多くのことを伝え、教えてくれるものでしょう。こういうことを現在の文化人と称するほとんどの人たちは言葉にすることがありません(その都度に適当なことを言うだけで考えが首尾一貫していない人たちを評論家とかコメンテーターと呼ぶのはいかがなものでしょうか)。それは彼らの多くが(そして私たち自身も)乱れた心のままで乱雑な現代社会に処しているからではないでしょうか。それに比べて、私には小林秀雄の文章表現がそのまま確固とした平常心の結晶に見えてきます。(センター試験ではせっかく出題したのに、この主題に直接ふれた問題を設けていなかったのはどうしてだろうと思いました。)?

 小林秀雄は現在では高校の教科書に載ることも少ないのです。こういう文章を丹念に読む人たちが少なくなっているのは残念ですが、これからの日本社会を生きてゆく若い人たちには時代を超えて人間存在と美と日本文化の本質について考えつづけた小林秀雄の文章をよく読んでほしいと思っています。

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